復元可能な灰壺

個人的な感想文ブログ

青空文庫で読める山川方夫の個人的傑作ショートショート5選

先日『箱の中のあなた―山川方夫ショートショート集成』という本を読んだんですが、その中でも特に気に入った話がそのまま青空文庫で読める事に気付いたのでその紹介&感想。

山川方夫(やまかわますお)は昭和30年代、星新一・都筑道夫らと共にショートショートを書く小説家として活躍したものの交通事故で34歳の時に死去。

この本は”夭折の天才が遺したショートショートを全2冊に集成するオリジナル・コレクション”の第1巻で、他の話や第2巻もかなり面白いんだけど、やっぱり別格に面白い話はちゃんと青空文庫になってるものですね。


 

そこからも、御所の雑色たちが丹精してつくりあげた、見事な一文字造りの大輪の菊の花の群れが眺められた。

酒甕をもち歩を移してその波うつような黄白の色彩に目を注ぎながら、女は、今年ほどその菊の花に、春からの一つの季節の推移というものを、重く手ごたえのあるものとして感じたことはなかったような気がした。

す~~~~ごいね、本当……。

個人的には次に挙げる『夏の葬列』とこの『菊』の好き度はほぼ同率1位。

だけど、僅差でこちらの方が好きだと言えるのは、平安時代から変わらぬ女の恋の熱しやすさと冷めやすさ、狂乱と疲労が克明に描かれていて感動するからです。

 

そうして、女ははじめての恋に落ちた。

恋が身を刺すような一つの痛みであり、その痛みとともに呼吸づく幸せであり、ぼんやりとしたままでの充実にみちびく胸ふさぐおののきであり、なんの理屈もない、ただその人のそばにいたいと願う、ばかげた、しかしとどめようのない火であるのを、女は生まれてはじめて知った。

↑ここの文章すごくないですか!?

特に「その痛みとともに呼吸づく幸せ」「ぼんやりとしたままでの充実にみちびく胸ふさぐおののき」に恋の甘苦しさが詰まってる。

自分一人で生きていくだけの日々にはこんな風に他人の事を想って惚ける瞬間なんてないわけでしょ?

「彼」の登場によって急速に狭まる視界、胸詰まる息の苦しさが、それでもひたすらに甘美なことを伝えてくるから羨ましくなっちゃうな。


彼との恋は身分差によって成就し得ない→そうだ、彼の木彫り人形を作ろう!→完成した!からの展開も凄まじいよ。

生身をそのままにうつし、再現している人形、動かない人形、たしかに恋人とこの人形とは、心のあるのと無いのとの違いだけだったが、それは生きているものと死者との違いだった。

つまり彼女は死体を作っていたんですよね。

実物の彼を介在させずに発展させた自分一人だけの恋、その恋の結末に心中する木彫り人形を、とても自分勝手に。

 

女は、その人形に、いまは贋ものの恋人というより、その恋人への自分の執念のうす汚なさ、不潔な汗と垢にまみれた自分のその妄執のかなしさだけを見ていた。

そして、そのおぞましさへの嫌悪といっしょに、女はさしものあの若者への自分の恋までもが、急にあとかたもなく消え、さめ果ててゆくのがわかった。

ここで急激に冷めるの分かる、分かるよ~~~!

「え?さっきまでの熱さはどこ?」って呆けるくらいには冷める時って一瞬だよね。

そして熱が去った後の残骸はいつまで経っても冷え切ったまま、捨てるより他はないゴミクズだって事も分かる。

自分のその妄執のかなしさだけを見ていた」っていう一文が良いよなあ。

自分の愚かさをまざまざと見せ付けられて、認めてしまえた女の冷静さというか一種の開き直りというか。

醒めた女は冷徹ですよ。数分前まで浮かれに浮かれきった自分に対してだって例外なく。


数ヶ月後、本物の彼との再会で彼女が感じたものもいいです。

ただ、女の胸に訪れてきたのは、春からのあの恋に心をわななかせつづけた日々、人形づくりに没頭してすごした自分の経てきた毎日への、なんともいえない不愉快な重苦しさ、途方もなく長い距離を歩いてしまったあとのような、けだるく漠然とした疲労の、奇妙に空ろなそのひろがりでしかなかった。

熱狂の果てには疲労しか残らないのも分かりますよ……。

わずかな灯油の光をたよりに、女は全身全霊をうちこみ、寝食も忘れて、あの武士を人形によって再現するため身も細るような努力をくりかえした」「その努力はたのしかった」と感じた女はもうどこにもいない。

彼女の中にさえいない。

いない者の不在をノスタルジーに思い返してやることさえする気の起きないこのダルさ、万国共通、永遠不変の真理と言ってもいいのでは?

 

ラストの一文、「女は、今年ほどその菊の花に、春からの一つの季節の推移というものを、重く手ごたえのあるものとして感じたことはなかったような気がした。」を読み終えた瞬間はあまりの良さに言葉が出ませんでした。

恋に落ちた季節の桜、恋が終わった季節の菊。

桜の花びらは薄くて軽い桃色だけど、菊の花はどっしりと重い黄と白の色。

その軽重と色の対比があまりに綺麗で美しくて、同時にもう後戻りは出来ないのだという時の流れを感じさせて。

それに菊の花って葬式にも添えられるメジャーな花じゃないですか。

彼女が自分で掘り出して自分で叩き割ったあの哀れな恋の化身、その死に捧げられる唯一の供花が、ここで彼女の眼差しが追う菊なんだろうなと思うとたまらない気持ちになります。

 

 

 

真夏の太陽がじかに首すじに照りつけ、眩暈に似たものをおぼえながら、彼は、ふと、自分には夏以外の季節がなかったような気がしていた。

……それも、助けにきてくれた少女を、わざわざ銃撃のしたに突きとばしたあの夏、殺人をおかした、戦時中の、あのただ一つの夏の季節だけが、いまだに自分をとりまきつづけているような気がしていた。

終戦の前日1945年8月13日の爆撃を描いた作品で、夏空、芋畑、ヒロ子さんのワンピース、その青・緑・白が縁取る喪服の黒がひどく暑苦しくてやるせない。

 

教育出版の中学国語教科書に採用された事もあって、彼の著作の中ではひときわ有名らしいけど、この話で授業受けたり定期テストの問題が出題されるの超羨ましいな。

今作に関しては一般的に正しいとされる解釈があるって事でしょ?それが知りたい。

 

おれの殺人は、幻影にすぎなかった。あれからの年月、重くるしくおれをとりまきつづけていた一つの夏の記憶、それはおれの妄想、おれの悪夢でしかなかったのだ

という主人公の安堵の有頂天が、

「だってさ、あの小母さん、なにしろ戦争でね、一人きりの女の子がこの畑で機銃で撃たれて死んじゃってね、それからずっと気が違っちゃってたんだもんさ

という事実で一気に叩き付けられる、その高低差が鮮やかで見事。


そしてそれを受けての「もはや逃げ場所はないのだという意識が、彼の足どりをひどく確実なものにしていた」というのがね!最高なんですわ!

自分の犯した罪を叩きつけられてなお、立ち上がって歩く彼の足取りは諦めと同意義語の覚悟でもあって、死に沈む絶望ではないんですね。


彼は、ふと、いまとはちがう時間、たぶん未来のなかの別な夏に、自分はまた今とおなじ風景をながめ、今とおなじ音を聞くのだろうという気がした」という通り、毎年律儀に繰り返される死の夏をこれからも彼は生きていく。

一つの夏といっしょに、その柩の抱きしめている沈黙。

彼は、いまはその二つになった沈黙、二つの死が、もはや自分のなかで永遠につづくだろうこと、永遠につづくほかはないことがわかっていた。

彼は、葬列のあとは追わなかった。追う必要がなかった。

この二つの死は、結局、おれのなかに埋葬されるほかはないのだ。

自分が殺した2人の女を抱え込み、新たに始まる彼の重くとも沈まない生を思います。


あと改めて思うけど芋畑の描写がすごく綺麗!

芋の葉を、白く裏返して風が渡って行く」の一文には唸りました。

 

 

 

鴎が一羽、そのヨットの上空で、ゆるやかに翼を上下していた。

鴎は、まるでどこまでも離れない決心をしたもののように、そのヨットと方向と速度を一つにして、朝空を動くかなりの風の中を翔びつづけた。

この『朝のヨット』は一組のカップルが海の事故によって死別するのを描いた話なんだけど、なんかこれも『夏の葬列』と同じで、永遠に繰り返される弔いの話だな。

文章の量としてはショートショートの名に相応しい掌編なんだけど、読み終わった後、読者に残す傷は鋭い。

 

鴎は、どこまでもその少女とヨットを追い、翔びつづけた。

薄らぎかかる記憶の中で、鴎は少女に自分がただ、自分だけの充実を追った幼い恋人だったことを告げたかった。自分が、臆病な一箇の旅人にふさわしいこの姿でいることを告げたかった。

だが、いくら喉をふりしぼって鴎が努力しても、その叫びは、猫に似た単調な啼き声にしかならなかった。

……そして、いつのまにか鴎は自分の飛翔の意味を忘れ、孤独のさわやかさも、愛することの恐怖も屈辱もそのよろこびも忘れはてて、ただ少女のヨットの上、全身を洗う透明な朝の風の中で猫の啼き声をくりかえして、無心にそのゆるやかな翼の抑揚をつづけていた。

最後の一文はまた出だしの一文に繋がり、メビウスの輪のように完結した世界でいつまでも少女のヨットは進み続ける。

どこに辿り着くこともなく、頭上の鴎の鳴き声が持つ意味に気付かないまま。

その永遠のすれ違いが哀しい、別に誰が悪いという訳でもないのにね。


個人的には「孤独のさわやかさ」というワードがめちゃめちゃ好き。

一人でいるのは寂しい代わりに穏やかで楽という事を”さわやか”と言い換えるの、当たり前だけど本当に言語化が上手い人だなあ。

 

 

 

写真は小さかったが、たしかに、それはあの赤革の手帖で筆談をしていた二人だった。

新聞は、原因は定時制高校を落第し、将来を悲観した純君に、朝子さんが同情しての覚悟の心中行とみられる、と報じていた。

くりかえしその記事を眺めながら、彼は、ふいに重く透明な波のような衝撃が、その彼を押しつつむように襲うのを感じていた。

彼が、他愛のないいちゃつきの戯言と読んだあの筆談の文字は、じつは心中を決意した二人の純粋な愛情の言葉だった。

一組のカップルのいわゆる心中ものなんだけど、それが16歳と17歳の少年少女なのがセンセーショナル。

 

私ネ、イマトッテモ安心シテルヨーナ気持、モウ、純ハ、ウワキシナイデショ、サカイさんモ、カンケイナイデショ、トッテモイイ気持、平和

と少女を達観させたのはこれから愛する男と共に死ぬ事への甘い陶酔で、でもその理由が男側の”定時制高校の落第”なのが読者を何とも言えない気持ちにさせる。

だってどう考えても死ぬには軽すぎる理由でしょ。

来年また受験するまで働くなり引きこもるなりすればいい訳で、周囲の大人だって誰も彼が受験に落ちたなら即死ねとまでは流石に思っていないはず。


でも彼の中ではそうではない。

若さゆえの苛烈な性急さが自殺という解決方法を2人に選ばせてしまう。

そのやるせなさがまた一つの味わいですね。

 

そして2人の最期に一番近しい言葉を知っているのが、たまたま2人の近くにいて筆談の手帳を拾った主人公”だけ”なのがまた複雑。

奇妙な感動がつづいていた。彼は、その感動の内容を思っていた。

たぶん、彼は人間を殺すほどのはげしい愛、相手を殺し、自分も死ぬほどのはげしく純粋な愛、そんな愛の存在そのものに衝たれていた。

そして、そんな愛が彼の見たどこにでもころがっていそうな、あの当世ふうな平凡な若いカップルの中にも生きていた、というその事実に。

彼が2人の中に見た愛は、彼の中にしか存在しない。

そして筆談として紙に書きつけられた2人の言葉は、文字として物理的に保存されている以上、彼が手帳を手放すまでは彼の元にあり続ける。

この先の人生で彼が手帳を捨てるとも思えないし、彼ら2人の心中は行きずりの赤の他人の胸中で生き続ける。

主人公の寿命分だけ長らえる事となった16歳の少年と17歳の少女の恋を思います。

 

疲労を頬に刻んでいる放心したような勤めがえりの男女たち」の鋭さにも「およよ……」となりました。私の仕事からの帰り道なんてマジでこれ。

 

 

 

……年上のこの女との一年、僕は、じつは空中楼閣のような、美しい数多の、しかしただ一つの花火だけを、眺めつづけてきたのではなかったのか。

いまさき信じた一つの愛、それも、地上をはなれた虚空の中でのみ花をひらく、美化された一つの空費、ただ初夏の夜空にのみ存在する、はかない架空の仇花にすぎないのではないのか。

真昼の野球グラウンドと夏夜の花火会場を同時展開し、そのどちらもを美しく描けるのは本当にすごい。

 

文庫本の巻末付録で星新一が山川方夫のことを

読みかえして気がついた点のもうひとつは、夏から秋にかけての季節を扱ったものがいやに印象的なことである。

彼はこの季節が好きなのであろう。

暑さで、すべてのものが膨張した夏。

夏の記憶はだれでも大きく感じる。にぎやかさ、からさわぎ、不徹底、いいかげんな責任、怠惰、それらが雑然と集まった夏の記憶をうしろにしょいこみ、すべてが凝縮するすずしい秋へとむかう瞬間。

秋の到来を神経に知らせる風。

その秋風に肌をなでられた感じが、山川さんの掌編に秘められている。

と評しているけど、私はそれを『昼の花火』に強く感じます。

 

今作は1年間付き合ったカップルが別れ話をする話なんだけど、19歳の男の方がプラトニックを貫いていて、処女にも似た彼の清純さに意外性がありました。

彼はただ、花樹の苗に挿された副木のような、女のやさしい線の美しさに結びつけられている、そんな棒立ちの気持だけを反芻していた。どこか頑なに背を反らした姿勢の、甘く、快い満足があった。

背を反らした姿勢の、あの子供っぽい快さを、僕は、いつまでも後生大切にかかえこんで行くつもりだろう。

こんな風に恋人の出で立ちを書き表せる男の繊細さ、すごくない?


ただ彼より4歳上の彼女は、そうして彼が取る距離を寂しく辛く、また見切りを付けていたのも分かる。

じゃないと「……つらいわ。待つのって」と言って、彼以外の男との結婚を告げることもなかっただろうし。

だからこそ最後の「森。森を見てるの」という言葉が胸を打ちます。


彼に取っての花火大会と同じくらい思い出深いものが彼女の中にもあって、それが森なんですよね。

ここでは語られていないことだし、自分勝手な想像でしかないけど、たぶん彼と彼女は連れ立って森を歩いたことでもあると思うんですよ。

彼にとってその出来事は花火の思い出ほど重要じゃないから言及されていなかっただけで、彼女からしてみれば丸っきり逆のことかも。


お互い別の記憶を、それでも2人が共にそこにいた残光として見ている。

この先別れて会わなくなったらもう発生することのないその交点を、今はただ見つめる眼差しが好きです。