復元可能な灰壺

個人的な感想文ブログ

サウナドラマとTempalay『あびばのんのん』と中山うり『ほたる』MVの話

テレビ東京の『孤独のグルメ』というドラマが好きです。
普段は録画&Amazon Prime組なので、7月から始まったSeason9もリアルタイムでは見てなかったんですけど、最終話ぐらいはリアルタイムで見るか~とテレビをつけたら、その後に始まったテレビ25『サ道2021』というドラマがとても良かった。

原田泰造が有名なサウナに行って(今回は佐賀の御船山楽園ホテル らかんの湯という場所らしい)ただサウナに入っている様子を見るだけの番組なんだけど、これがなぜだかすごく癒やされる。

先々月にBS-朝日で『サウナを愛でたい #47 北海道旭川市 高砂温泉』回をたまたま見ていた事もあって、「へ~~~、サウナが流行ってるのは知ってたけど、ここまでなんだ」と感心していたら、『サ道2021』のEDである Tempalay『あびばのんのん』が流れてきた。
そしたらこのED曲がすごいよくって!!

あびばのんのん

あびばのんのん

  • provided courtesy of iTunes

特別でしょ とろけちゃうでしょ 真昼の夢 海月のような
とっておきでしょ もうとりこでしょ 
忘れないでよ この快感を

サウナドラマのEDとして、こんな最適解みたいな曲ってあるんだ……としばし呆然とした。

サビの琴の音はまさにスーパー銭湯で流れているようなエセ和風ヒーリングミュージック感があるし、深くて柔らかいバスドラムは湯気のような包容を感じさせる。

ちょっぴりサイケデリックな間奏もスパイスとしては最高だし、何よりやっぱり”とろけちゃうでしょ"と肌と心の一番外側、輪郭がぼやけて自分の存在がゆるやかに溶け出していく感覚が心地よすぎる。
本音の奥のもっと奥ほど 忘れないんだよ その瞬間を」「骨の骨まで時を止めて」というフレーズの通り、体の奥の心、心の奥の何かに触れられている感じのする音楽なんだよね。

その心の奥の何か、というのはやっぱり鼓動なんだと思う。
動いているだけの心臓、生きているだけの体、そこに収まっているだけの脳で、人間の心と思考はどこまでも広がっていける。
それこそ遠い宇宙へ旅をしていくまでに。
でもそれにはやっぱり、今、ここでぼーっと生きている肉体が必要で、その必然性が面白いなと思う。
どこまでもいける精神は、今、ここにしかない肉体にのみあるという感じ。

ゆっくりとサウナに入ったり湯船に浸かっている時にほんの僅か感じる、この真理を掴めたような実感と恍惚を、音楽という形でここまで凝華出来ている事が本当にすごいと思う。

タイトルはドリフターズ『いい湯だな』の掛け声からかな。
調べたところ、ドリフ大爆笑版のEDでは「さよならするのはつらいけど」という副題がついていたそうで。
2番のBメロ「かすかに心に穴が空いたぽっかり さよならするのはつらいけど」はここから引用してるんだろうね。


で、MVも見たんですよ、Tempalay『あびばのんのん』の。

サムネを見た時点で「あれ、この雰囲気……」と思っていたら、開始20秒の時点で叫びました。
中山うり『ほたる』のMV作った人じゃない!??!?

ここ最近で一番の驚き、一番の大声出ました。

『あびばのんのん』でクレジットされている土屋萌児という人、確かに中山うり『ホタル』にも名前が載っていた方だ。

この『ホタル』のMVが公開されたのは2013年で、私が知ったのもそれぐらいの時期だったから約8年前か。
8年前も土屋萌児というクリエイターは検索していたんだけど、当時は全然情報がなくて残念に思っていた覚えがある。
今はTwitterのアカウントもあるし、Eテレ『シャキーン!』とかの映像も手掛けているらしく。
私も『シャキーン!』は毎朝観てて(この番組は『0655』の後番組という印象が強くて、時間枠移動したのに未だ慣れなかったり)いやはや、偶然ってすごいものだなと勝手に感慨深くなっています。

私が人生で一番好きなMVを選ぶとしたらこの中山うり『ほたる』のMVしかなく、初めて見た時も泣いたし、見返すたび今もこの先も、ずっと泣けると思う。

やっぱり2分36秒のシーンがすごすぎるんですよね。

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晴れやかなトランペットの音が告げた、これまでの、そしてこれからの2人の全てに対する答えがものすごく好きです。
夫婦か恋人かはわからないけれど、掛け替えのない瞬間を共に過ごしてきたパートナーでさえ、些細なことで喧嘩はする。
でもそこからこの2人は、お互いに歩み寄れるんですね。
これから先もずっと共に過ごしていくために仲直りをする2人の、誠実さがこんなにも尊い

女の子も落ち込みながら玄関の前で待ってて、階段まで迎えに来てくれるところにもめちゃめちゃ泣ける。

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最後、女の子のいた雪山は炎と共に消えていく。
怒りと後悔と寂しさ、そういう負の感情で固まった雪山を燃やせるのは彼がいるからで、2人が一緒にいるからで。

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他人同士である男と女がお互いを信じ合い、共に暮らしていける奇跡みたいなものがこのMVにはあると思います。
傍からすればこの2人は平凡なカップルか夫婦で、喧嘩だってありきたりなもののように見えて。
でも2人はきっとものすごく強くて、その強さとは、お互いがお互いに歩み寄ることを恐れず、怠らずにいる勇気だと私は思います。

 

一方『あびばのんのん』のMVで描かれているのは、生老病死というか、生きている以上避けられない苦悩なのかもなあと思いました。

(話は逸れるんですが、このMVの雰囲気が好きなら、とよ田みのる金剛寺さんは面倒臭い』という全7巻の漫画もおすすめです)

怪物の子は怪物の本体から分離して生まれて、お爺さんと出逢って心を知って、それでも怪物としての本能には抗えなくて、人を喰って生きようとして。
サイケデリックな間奏の時に流れる細胞分裂のアニメーションには、生命が誕生して生きようとする時の鬼気迫る迫力がありました。

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でもその人を喰いたいという本能に抗えたものが、きっとお爺さんが出逢った時にくれた汁物なんだと思います。

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(屋台ののれんには大波釜と書いてあるように見えるんだけど、一体何なんだろう?
 そういう料理があの世界にはあるのかな?)

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お爺さんがくれた汁物で、怪物の子は再誕したんだと思います。
人以外のものの味を知ったから。
人以外のものを喰らっても、自分は生きていけると知ったから。

怪物の子の再誕と共にお爺さんの体は解けてきます。
それはどう見たって死の暗喩でしかない。
肉体は生死を繰り返す細胞の集合体だけど、でもその生きた時間には人間の真心からなる意思が宿っていて、だからお爺さんは怪物の子と抱き合いながら穏やかに死を迎えられたのかもしれません。

この場面は、本当に否が応でも泣けてくる。

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お爺さんが最後にしたのは、怪物の子を許したことだと思うんです。
町を壊滅させて、多くの住人を喰らって(でもこの人達、胃の中で普通に生きていたのできっと全員無事に生還出来るはず)自分を喰らったことを。

取り返しのつかない過ちでも、精一杯謝って償って、そしてまた次を願う。
加害者がそういう風に出来るのは、許してくれる誰かがいるからです。
その両者の決意と行動自体がとても強くて、眩しくて、尊いから涙が出る。
誇り高いものを目の当たりにすると、人間って自然と泣けてくるものなんですよね。

たまたま観たドラマの最終話からここまで話が繋がるとは思っていなくて、いやはや、偶然の運命ってあるんだなと我ながらびっくりです。
今後もこの方の映像はチェックしていきたいなあ。