2010年に黒雛から発売された18禁男性向けノベル『サナトリウムの雌豚』をプレイしました。
選択肢無しの一本道EDで、プレイ時間は約3時間の短編もの。
内容としては、太平洋戦争末期、「傷痍軍人ノ前線復帰ノ為ノ研究」と題された軍の秘密実験により、豚の臓器を移植された少女とその研究員&看護婦が織りなす人体改造猟奇ADV。
一見するとハードな凌辱ものなんだけど(輪姦がデフォルトかつ電流責めやら豚との獣姦やら豚の胎児の標本出産やらがあるので実際そう)女2人の感情の機微が他に類を見ない精度で描かれていて感動しました。
そう、今作って男1人対女2人の三角関係ものでありつつ、百合の側面がかなり大きいです。
というかほぼ百合。
めっっっちゃ百合。
私だって序盤は「華音さん(左側の黒服を着た看護師)は尾崎(今作の主人公である技術大尉)に片想いしてる訳だし、恋愛感情もないのに百合って呼ぶのはどうなの?」って思ってたんだけど、ラスト付近は零(実験対象の超美少女)の感情の独壇場。
少女の美しさに恋敵として嫉妬する女と、その女の恋を見つめる少女のすれ違い、そして混ざり合いには圧倒されっぱなしでした。
以下、ネタバレ感想。
ネタバレ感想
まずゲームを初回起動するとタイトル画面ではなくプロローグから話が始まり、そこで記された時代背景の文章だけで、もう私は今作のことを大好きになれる予感がしました。
尾崎「この国は負けるのだろうね」
東京ローズの声が電子妨害に掻き消され、ただざらざらとした白色雑音だけが流れる。ということは、おそらく、いや間違いなく、B29の爆撃挺団がこの辺り、伊豆半島の地形を目印に遥か成層圏を進撃しているのだろう。
その力強い羽音……轟音ともいっていい、硬質の重低音は、ただうなりとなって、このサナトリウムにも届いてはいる。
華音「電蓄に致しましょうか?」尾崎「そうしてくれ。何か陰鬱な気分にさせてくれる、ジャズを頼むよ」
部屋の調度に合わせたアンティークな電蓄が、爆撃機の編隊が立てる地鳴りと混ざり合って、尾崎の研究室に陰鬱極まりない交響楽を奏で立てる。窓が、硝子が、二つの音楽で震えて、ともすれば不快とも、不安とも取れる共鳴を騒ぎ立てる。
サナトリウムという言葉からは山奥の清らかで清潔な白亜の病棟がイメージされるけど、今作のサナトリウムはそんなものでは全く無いと知らしめる最高の始まりだと思います。
それに対する零の所感も、ファーストインプレッションとしてはすごく良い。
だけど、私は……。
この不気味な鳴動と、それに合わせたようなジャズが響き渡るこのサナトリウムの中で、自ら死ぬことが出来ない。
歓びの欠片もない生、というものを味わう。
そのことだけが、今、私の正気を保たせている。
「不気味な鳴動と、それに合わせたジャズが響き渡るサナトリウム」なんて、この時点でもう暗い結末が約束されたようなものじゃんね。
そうそう、最初に環境設定画面を開いた時も、その電蓄を思わせるデザインに感動しました。
インターフェースデザインに:八千代代とクレジットがあったので、ちゃんと今作オリジナルのはず。
私がエロゲを起動して初手でやることが文章表示速度を最速にして画像効果を切ることなので、この画面もすごく好印象でした。
ラストのラストで電蓄はかなりの重要アイテムになるので、クリア後に見るとこの設定画面にすら感慨を覚えるのがすごいところ。
華音と零の関係性
やっぱり今作の魅力って、華音さんの愚かしい恋が担っている部分が大きいと思うんですよ。
彼女は零のように美しくなりたい一心で、零から取り出された臓器の移植を希望する。
清らかさと淫らさ。
男を満足させるための二律背反の要素。
私は、自分の身体が何で出来ているのか、人間はどの様なもので作られているのか、知っている。だから……だから、もっと、綺麗なものを、煌めいたものを詰め込んで、美しくなりたい。
清らかさと、淫らさと、可憐さと、妖艶。
それらを全て包み込んだものに、私はなりたいのだ。
私は変化しているのだ、私のこの身体の内側から。
あの娘から美しさを剥ぎ取って。
あの儚げな美しさを、私の中にと。
そこまで零の美に過剰な夢を見るのは、堅物として生きてきた自分の性への劣等感からでもある。
誰にも振り返って貰えない、誰にも手を差し伸べられたことがない。
そんな私の在り方が重くて、枷になって、私はそれから逃れたくて、不完全であることを選んだ。
尾崎様の助け無しでは、死を待つだけの身体に。
そうすれば私に、あのひとは手を触れざるを得ないから。
自身の健康な肉体を贄にして、恋の成就をはかった女の切実さは胸を打つのと同時に、醜さも感じさせます。
実際、尾崎の方は華音さんが必死に伸ばした指先をいとも簡単に拒否する訳だし。
糸の切れた操り人形。
その言葉が頭に浮かんで、ああ、糸を切ったのは僕なのだということを改めて実感する。
人と触れないでおくことで、悦にいる。
随分と嫌な趣味だなと、自分でも思う。
う~~~ん、こんな男に惹かれる華音さんの方がちょっとね。
人嫌いなマッドサイエンティスト男なんて放っておけば害が無いのに、わざわざ近づいて愛を乞うた華音さんの方が馬鹿っぽい。
でも恋する乙女にはそれがどうにもならないのも分かるよ。
零の方は冷静に尾崎の本質を客観視出来ているので、それがまた華音さんのどうしようもなさを露呈させてる。
だけどあの男が誰の願いも叶えないことは散々に知らされた事実。
何故、人に報いるという事をこの人はしないのか、それが私には何時も不思議でならない。
「私に、手を触れて下さい。貴方から」という健気な願いがいつか叶うかもと信じているのは、本当に華音さんたった一人だけなんですよね……。
そんな華音さんの叶わない恋を見つめる零の眼差しが、本当に私は大好き。
何も私の臓物を望むことなど、この人にあったのだろうかと考えてしまう。
それは、彼女の……完璧さを損なう行為だろうに。
望んで欠けていく華音さんは、何を望んでいるのだろうか?
完璧な彼女はその完璧さを保っている間は、ただあの男に従いかしづくしかなくて。
欠損。
それが彼女に生じたならば、彼女は愛される資格を得られるというのだろうか?
白い包帯が、フリルとなって。
白い眼帯が、レースとなって。
そして病で熱を帯びる身体が、彼女の表だって表せない熱情を表して。
そしてあの男に彼女は愛されるとでもいうのだろうか?
ここの文章すごくない!?
豚の臓物は零に、零の臓物は華音に渡る超猟奇的行為の意義がここで語られている。
華音は零の美しさが自分に無いものだから欲して。
零は華音の完璧さが自分に無いものだからその欠損を惜しむ。
「臓物の交換」という特異な設定の下だからこそ描ける女同士の感情があって、これこそが『サナトリウムの雌豚』という作品の真骨頂だと思います。
いや、本当にすごいよ、これは。
こんなん他作品で見えるようなものじゃないでしょ!
零への凌辱行為について
豚の臓物を移植され、かつ軍の慰みものにされているという状況にも、ちゃんと解答が用意されているのが今作の上手なところ。
豚の臓物の移植実験は、傷痍軍人の治療回復手段を模索するため。
そこからの性的凌辱は、無条件降伏後の慰安婦施設の創設を想定しているため。
男が始めた戦争なのに、戦利品として女の性が取引されるのはいつの時代も同じで、その事実に気分が沈みます。
まあそれはそれとして、零のパートはエロゲらしいエロい文章が見えて大満足。
私の中から擦りあげられるという、一方的な、そして……屈辱的な熱さを吐き出している行為。
ただ男にかしづき、組み敷かれ、そして、その欲望をただひたすらに、受け入れさせられ、貪らせられ、それでようやく、生きている存在。
私は、男の言うように雌豚なのだ。
女っていうのはやっぱり究極的には「受け入れさせられる性」なんですよね。
ただその男からの強姦に華音さんが絡むと、途端に甘さが混じるのにぐっとくる。
まるでレコード針の様に、私の咽に華音さんの爪が食い込んで、そして、私が奏でられる。
抉られながら、首を絞められ。
躯が強ばり、収縮する。
そして私の粘膜は、男のそれにきつく絡みつく。
絡みついた粘膜は、粘つきながら、男にまとわりついて。
交わった証を、促していく。
これから何人に、同じことをされるのだろう?そのことを思うと、私はもう、何も考えたくなくなって、思考を闇の中へと落としていった。
最後まで残っていたのはそれでも。華音さんの、指の感触だった。
零にとってはそれぐらい、華音さんが自分の身の回りの世話を焼いてくれることは生への直結だったんですね。
死にたいくらいの、肉を浸食する凌辱。
死んだほうがマシにも思える、自分の中の醜い疵痕。
だけど、こうして私は生きている。
生かされているということに、抗うことが、出来ない。
それがどれだけ無様かと思っても。
それがどれだけ情けないものだと思っても。
一人の献身を憎むことは、私には出来なかった。
自分が凌辱された後、清潔なガーゼで肌を拭いてくれるその手を零が憎みきれないのも同じ女ゆえに分かるところがあります。
華音さんは尾崎には一切触れられないのに、零に対しては普通に触れられて、その華音さんの手を零は想っていると考えるとすごく綺麗な三角関係。
肌に触れるというのはそれだけで情を生む行為なんだなと改めて実感します。
物語の終盤、自分にとって一番綺麗な服を来て、自分にとって一番特別な場所へと華音を誘う少女の姿は本当に可憐で綺麗でした。
外に出ると夏の日差しが強くて、視界が一瞬、痛みを伴う白に変わる。
色素の薄い目をしているというのに、陽炎の向こう側まで零は歩いていた。
陽炎の向こうで、零が振り返る。
立ち止まって、私が追いつくのを待っている。
そして、あと数歩で零に辿り着くというところで、零は私に視線を送りながらまた歩みを進める。
零は、微かに笑っている様にも見える。
私にとって、今作の中で一番百合みを感じたのがこの場面かも。
歩いて立ち止まって待って、そしてまた歩く。
こんな親しみ、尾崎相手だったら絶対に見せなかったはずなので。
そしてそこからの狂宴の夜は壮絶の一言
華音と零と尾崎、三者三様の思惑が混ざり溶け合い、混沌を形成していく様は凄まじかったです。
尾崎は時代と自分達の終わりを語り。
酷く苛立つ夏だった。
B29の爆撃梯団が、夜毎にこの施設の上を通り過ぎ、そして帝都に破壊をもたらしていく。
重爆撃機の奏でる地鳴り。
僕が好んで掛ける陰鬱なジャズ。
……そして、女たちの嬌声。
全てに終わりが見えた夏は、酷く熱かった。
それは本当に、真夏の悪夢だった。
華音さんはより零との同化を望み。
私の中で積み上げていった硬質な部分に、細かいひびが入って、砂のように砕けていく。
そして砕けたそれに情欲の粘りが注ぎ込まれて、再び固まっていく。
あと何人に犯されれば、もっと零に近づけるのだろう?
醜い肉が詰まっているというのに、その表層はあくまで可憐な存在になれるのだろう?
そして零は『サナトリウムの雌豚』というタイトルの意味を悟る。
あの男は悪魔の様に残酷な男だと。
……じゃあ、其の悪魔の様な男に生かされている私は一体なんなのか。
其の、悪魔の様な男に惹かれている華音さんとは、一体なんなのか。
「私達は、サナトリウムの雌豚。
あの男に作られた、哀れな怪物」
この「私達」という言い方が最高にイカしてますね。
華音と零は結局のところ最初から同類だったんだなとようやく気付けたところが。
ただやっぱりここら辺はもう零の独壇場というか、男を媒介とした零から華音への告白感がすごい。
私から見ても羨ましい、女としての……ううん、雌としての完全な造型を持っている、人。
「綺麗……憧れて、しまいそう」
不完全であることを、何処かをいつも欠けている事を宿命づけられている私にとっては、華音さんは私の理想の一つの在り方。
だから。
そんな彼女が、私を人間とも、被検体とも扱わず、
ただ彼女自身の劣等感をそのままにぶつけて貰えたのは、心地よくすらあった。
華音から嫉妬をぶつけられるのが気持ちいいと気付いてしまったからには、もうそこを突き詰めていくしかないんですよね。
真正面から華音を煽る零は華音をいじめることで悦楽に浸っていて、それは前半で華音が零にしてきたことの裏返し。
「こんなに女らしいのに、どうして華音さんには誰も触れようとしなかったんでしょう、ね?」
顔や胸を弄ぶだけでは物足りなくて。
つい、華音さんの心の中にまで、精液まみれの舌と手で、触れて、崩してしまう。
その混ざり合った粘液には、多分に男の精液が含まれているのだろうけれど、気のせいか、甘く感じる。
男の精液は苦いのに女の唾液は甘いと感じるの、百合の素質があるとしか言いようがない。
それとはまた別に雌としての魅力でマウントとってくるのも、言葉にならない良さがあります。
「もっと交わりましょう?ね?どちらがいっぱい出して貰えるのか……いいと、思いませんか?」
私は華音さんの柔らかさを愉しみながら。
華音さんの心が砕けていくのを愉しみながら。
それからずっと絶頂を独り占めにして。
破滅が訪れる夜を、迎えたのです。
「どちらがいっぱい出して貰えるのか」という零にとっては負けるわけがない勝負を持ち出してくる意地悪さがまた可愛い。
夜が深まるにつれ、ヤンデレ要素まで帯びていくぐらいだし。
今、彼女は豚に犯されながら、想い人を横取りされている。
私が見たかった、完全な人の、華音さんの絶望の姿。
自分の絶望だけは何度も何度も見られているのに、私は彼女の絶望を見たことが無くて。
私の欠片が埋まっているのに、そんな表情を見せてくれないだなんて。
不公平、じゃないかしら?
ここで零の親愛に明確な加虐性が出てきたの、少女から女への変容という感じですごく良い。
一つ奪えば十が欲しくなり、十を奪えば百が欲しくなるのが恋の罪だよねえ。
そしてこの夜は尾崎を零に寝取られた華音が激昂して零に切りかかり、それを尾崎が庇い傷を負ったことで華音が発狂して幕を閉じる。
そこでも零の興味は華音にしか向いてない。
私にとっては、この男がどれだけ痛みを負うかより。
華音さんがどれだけ傷ついて、絶望に陥るのか。
そしてそこから、どう狂うのか、どう、この……終わりの見えた話の決着を付けるのか、それが気がかりだった。
尾崎のことは「この男」呼びで、彼女のことは「華音さん」呼び。いい性格してますね。
ただ曲がりなりにも尾崎は零のことを「自分の価値を日々、証明してくれる生きた女神そのものだった」と評して、華音よりよほど大切にしてるんだけど、そんなこと零にとっては何のプラスにもなってなさそう。
3人の結末について
狂乱の夜が明け、長崎に原子爆弾が落とされて敗戦が確実になった日に、3人はサナトリウムを旅立つんだけど、その命の終着点もまた何とも言えない後味を残します。
私の最後の記憶は、プロペラからの唸り声。
そして……銀色の翼から走る火線。
機銃が唸り、弾着が近づいてくる様子。
それは……私の躯を的確に捉えて。
折角、華音さんに残そうとしたものまで、血飛沫に変えられてしまった。
おそらく意識は一瞬で薄れていったのだけど。最後に考えたことは。
華音さんに謝ることが出来なかったな……という、他愛もない、事でした。
敵国の戦闘機に撃たれて終わり、ただそれだけ。
そこには3人の意志も何も絡んでないんだけど、でも昭和初期ってそういう時代だし納得はいってます。
ただ今際の際の際にまで、零は華音を想ったことに胸を打たれました。
「華音さんに残そうとしたもの」は自分の臓器に他ならず、零はきっと華音さんの献身に、自分の死体を提供してまで報いたかったんだと思うよ。
決して尾崎は受け取らなかった華音さんの献身に、零が出来るのはもうそれぐらいのことしかないから。
ただ問題はエンドロール後のエピローグ!
ここで本当の本当に物語は終わるんだけど、その切れ味に私はびっくりしました。
まず零がサナトリウムを出る直前に電蓄に吹き込んだメッセージが、彼女の死後発見されるまではいいんですよ。
私を生かしてくれた人に、ありがとう、と。
ほんの一時の気まぐれで、それを惨たらしく切り裂いたことにごめんなさい、と。
この「私を生かしてくれた人」は華音以外にあり得ないはず。
彼女に「傷つけてごめんなさい」と謝るだけの時間が残されていなかったのはもう運命なんだろうし、そこはしんみりと受け止められるんですけど。
最後、それを聞いた外部の人間が抱いた印象がね〜〜〜。
それを聞いていた男は、この世に、そんな形の『救い』があるとはとても思えず、思いたくもせず。
彼女が生きていたということ、そのものを信じたくもなくなって。
そのレコードを破壊した。
その娘の声を聞いていると、真夏の夜の悪夢が、永遠に続くような、そんな気がしてならなかったのだ。
この結末は本当にすごい!
プレイヤーは、その電蓄に残された零の言葉がどれほど彼女にとって大切な真実だったかは分かる訳じゃないですか。
でも外部の人間にとってはそうじゃない。
豚の臓器移植という人体実験を施された少女が、凌辱を通して自分の生の意味を見つけたと語る声は恐怖以外の何物でもないはず。
何かそう書くと私ですらちょっと怖いもん!
あれだけ美しかった少女の声が「真夏の夜の悪夢が永遠に続くような声」と切って捨てられる光景を目の当たりにすると、どうしようもなくたまらない気持ちになります。
今作のこの終わり方を見た時、私は「トランプタワーがぱたんと倒れたみたいだな」って感じたんですよ。
精緻に積み上げられたカードの空間で何が起こっていたのか、その頂点の切っ先はどこに到達していたのか。
3人の行動と思惑を追い続けてきたプレイヤーなら全部見えたそれは、でも、全て崩れ去った後に来る部外者には何も無かったのと同じ。
床に散らばり伏せられたカードはもう何も語らず、何の意味も持たない。
あったのにもうない、というがらんどうな空間に、これからも私は惹かれ続けていくのだと思います。