復元可能な灰壺

個人的な感想文ブログ

調理系大食いYouTuber 谷やんの動画と 小川洋子『コンソメスープ名人』の話

調理系大食いYotuber 谷崎鷹人こと谷やんという方のチャンネル動画が大好きでして。

家に帰ってきた後、ご飯を食べる前、ご飯を食べている間と1日3回は見るし、特に見たいものがないけど何か暇という時もテレビから流しっぱなしにしています。
私の食事時間はいつもこの人の調理動画か『孤独のグルメ』がエンドレスで流れてるくらいには好き。
一人鉄板焼き屋さんごっこのトリミングシーンなんて30回は見た気がする。

 

この方の動画は料理というものに本当に真摯で手際もいいし、実際に見てるだけで私の料理の腕もちょっと上がりました。

一つの食材を切り始めたら最初から最後までそのリズムを保つこと。
多少洗い物が増えたとしても、調味料等は予め最初に全部計っておくこと。
一つの工程が終わったら一回全部綺麗にして、場をリセットしてから次にいくこと。

散々レシピ本なんかでは書かれていた事だけど、動画で見ると実践力が違うね。
「この人がそうしてるんだから、私も同じようにやってみよう」と素直に思える。

 

で、本題はこの谷やんさんが先日上げていた動画『たった4日で出来るロールキャベツ ~自家製コンソメ仕立て~ 』。

この動画を見た時「小川洋子の『コンソメスープ名人』に出てくる料理描写ってこういうことだったんだ!??」と衝撃を受けたので、その話をします。


コンソメスープ名人』というのは小川洋子の連作短編集『人質の朗読会』に収録されている短編。

留守番をしていた主人公の元に、隣の娘さんが台所を借りに訪ねてきて、一緒にコンソメスープを作るだけの話なんですが、小川洋子の言葉で書かれると途端に工程一つ一つが神聖なもののように映る。
その文章を谷やんさんの画像と共に引用紹介したい、というのがこの記事の内容です。

 

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ホウロウの寸動鍋二つ、木べら、お玉、ガラスの広口瓶、包丁、まな板、布巾、バット、温度計、牛肉の塊、玉ねぎ、人参、セロリ、パセリの軸、卵、昆布、ドライマッシュルーム、月桂樹の葉、粒胡椒、岩塩。

何往復もして彼女が家の台所に運び入れたのは、ざっとこんなものたちです。

 

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 いよいよ牛肉の登場です。

彼女の痩せた指につかまれると、いっそうその活力が際立ちます。
彼女はそれをまな板の真ん中に載せ、一度表面を撫でたあと、ゆっくり包丁を当てて脂肪をそぎ落としてゆきます。

すると不思議なことにたちまち肉の塊はすうっと力を抜き、息を静め、そのか細い指たちに身を任せます。
指たちは繊維の奥に隠れたどんなわずかな脂肪も見逃しません。

肉は少しずつ深い昏睡に陥りはじめます。
その一番底まで落ちた時、塊は端から順に、ミンチ状に切り刻まれてゆきます。

 

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ホウロウ鍋に刻んだ肉、野菜、粒胡椒、塩、更には卵白を入れ、腕を突っ込み、こねはじめたのです。

彼女は上半身をねじり、鍋の底へと右腕を鎮めると、中身を大きく撹拌します。
同時に掌を開いたり握ったりしながら練り合わせます。
あっという間に野菜も卵白も肉の間に飲み込まれ、元の形や色を失ってゆきます。

それ自体生きているもののように、タネが指の間からムクムクと盛り上がり、すぐにまた形を変え、大きな一塊となります。

 

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「澄んだスープを作るのに何より大切なのは温度なのです。
 これを失敗すると取り返しがつきません」

隣で彼女は木べらを沈め、ゆっくりとかき混ぜてゆきます。
その動きに合わせて対流が起こり、タネはうねり、縁には泡が湧き出します。

木べらが鍋の底にぶつかる音が、鍋の底から伝わってきます。
彼女は時折、温度計の目盛りに視線を送りつつ、木べらの動きが一定のスピードを保つように注意を払っています。

彼女が手を止めたのは、温度計が七十五度になった時でした。

 

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その時点で鍋の中は大変な惨状を呈しており、高揚した僕の気分は再び低下しはじめていました。
とにかく、それが人の口に入るものだとはとても思えなかったのです。

周辺部では白く濁った泡がふつふつと不気味な輪を形成し、中央部では黄土色をした残飯の汁のようなものが皺だらけの膜となって、いかにも苦しげにうごめいています。

その穴から覗いて見える薄暗がりがまた気味悪く、鼠の死骸を似ていてもおかしくない様相です。

 

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もう一つのホウロウ鍋に布巾を被せ、中央の窪みにお玉で一杯ずつスープを垂らして漉してゆく作業は、フィナーレを飾るに相応しい場面でした。

彼女が最も神経を集中させたのが、ここでした。


お玉の縁で黄土色の膜をそっと脇に寄せ、下からスープをすくい上げます。

余計な対流を起こさないよう、膜を刺激しないよう、最新の注意を払っているのが分かります。
「焦ってはならない、焦ってはならない」と、一杯ごとにつぶやくように、お玉はゆっくりと動きます。

スープは布巾に落ち、小さな溜まりを作ったあと、一滴一滴、落ちてゆきます。
ひたひたという音ともいえないほどの気配がホウロウの底から立ち上り、僕と彼女の間を漂います。

 

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そしてそのコンソメスープの色といったら……。
一体、気色悪い残飯の汁はどこへ行ったのでしょう。

僕はこれほどに澄んだ黄金色を、かつて一度も見たことはありませんでしたし、あの日以降もまた、目にしたことはありません。

 

……実はこの短編集って数年前にWOWOWで2時間ドラマ化もされていて。

その際の『コンソメスープ名人』の映像化に、私は不満たらたらでした。

前述したように、原作では最後のスープを濾す工程は、とても大切なものとして書かれているんですね。
それは谷やんさんが作る実際の調理工程でも当然同じで。

それが一体何で、どうしてこうなる!??

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このカットを撮影した現場スタッフは、何で誰もおかしいと言い出さなかったんだろう。
布巾の上に鍋の中身を直接注ぎ込んで濾すなんていう横着、私でもやらないレベル。

だってお玉一個用意するだけだぜ!??

最後の最後まで、娘さんが細心の注意を払っているのが私にもよく分かりました」ってセリフが入ってくるけど、これの何にどう注意を払ってるのか逆に聞きたいよ。

『やまびこビスケット』のビスケットや

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『B談話室』とかの背景セットは

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きちんと原作の雰囲気があって良かったのに……『コンソメスープ名人』はなぜあんなことに……。

 

そんな訳で、ずっと消化不良だったコンソメスープの作り方をきちんとした動画で学べて嬉しかったです。
何でも見てみるものだなあ。