めっっっちゃデカイ!!!
比較用の「Tiny Screams」もちょっと大きめのCDケースなのに、それ以上にデカイ。
何より嬉しいのが、歌詞カードも同じくらいデカイこと。
これだけの用紙に印刷された鬼束ちひろの歌詞を手に取れる。それだけでLP盤を買う価値大アリ。
今回の新曲2曲は、詩集のような文学的色合いが濃かったことだし。
1.ヒナギク
言葉はまるで乾き立つ砂漠 その一途へ火をつけて
鬼束ちひろで”燃える”というと私は「蛍」が浮かぶんだけど、今曲からは「蛍」の炎がしばらくの時を経て熾火になり、だけどそこに未だあり続ける執念のような熱を感じる。
「愛は今も燃え続く」との言葉を、彼女の、「蛍」よりいくばくか低くなった歌声で聴かせてくれて嬉しい。
シングル「蛍」発売は2008年8月で、あれから10年。
愛は今も、燃え続いている。
愛は今も、燃え続いている。
そう言葉と、何より歌い続けてきた声だと分かる歌声で、証明してみせてくれてありがとう。
「二人は明けを知らぬ日々」ってあるけれど、私が鬼束ちひろに抱いているイメージもまさにそのまんまだよ。
明けを知らぬ日々、生き続けていかなければならない日々を、愚かに、共に彷徨ってくれる人。
そしてこれからも、その苦痛の闇に火を灯し続けてくれるであろう人。
アレンジで言えば、2番のサビから入るパーカッションが好きだな。
雨であり、夜露であり、涙である、あの単純な一音に惹かれる。
2. Twilight Dreams
あなたを結うだけの温もりに かわって 今夜は 今夜は
鬼束ちひろ×BLドラマ主題歌!?!?!??
2000年代あたりの腐女子の約半数が夢に見たであろう世界が、この平成も終わる2018年の夏に実現してしまった。
嬉しい、すっっっごく嬉しいんだけど、なぜ今…??
嬉しい、すっっっごく嬉しいんだけど、なぜ今…??
あと、喜び勇んで原作も読んだんですけど、そこまで内容(丸木戸マキ「ポルノグラファー」)に沿ってる訳では……?
というかこの歌詞はBLなのか、「僕等バラ色の日々」の方がよっぽどBLっぽいけれど……(個人の解釈です)
というかこの歌詞はBLなのか、「僕等バラ色の日々」の方がよっぽどBLっぽいけれど……(個人の解釈です)
そもそも、鬼束ちひろの曲がタイアップ先の内容を汲んでいたことなんてあった……??
男と女が分かり合うよりは、男と男、女と女、同性同士が分かり合う方がきっと楽で。
前曲「ヒナギク」のような渇望を煽る熱風も、次曲「帰り路をなくして」の底冷えする夜風も、今曲にはない。
ただひたすらに穏やかに、黄昏の気配が、二人のいる部屋を満たしている。
「貴方のその肌に この耳を澄ませば 奇跡さえ聞こえる」とかもう惚気のプロ。
言葉だけ見れば切なさはあるんだけど、編曲がもう黄昏の橙光をしているので、やはりこの2人は幸せなんだろうね。
次の曲見てみ?
「血の涙は溢れる 緋の翼で舞い上がるのだろう 燃える世の底を這って ただ鳴き叫ぶ 鳴き叫ぶ」の壮絶さに比べれば、全然。そんなの、ねえ。
3.「帰り路をなくして (Live at Zepp Nagoya on May 1 ,2017)」
ここからの4曲、すごい良い。
2017年6月1日 17:00開演『syndrome @ Zepp Nagoya』 に現地参戦していたから余計にそう思うのかもだけど。
「すごいものを聴いてしまった……」と半ば感動、半ば呆然で帰路についたあの夜と、全く同じ夜が今ここにある。
「すごいものを聴いてしまった……」と半ば感動、半ば呆然で帰路についたあの夜と、全く同じ夜が今ここにある。
スモークが焚かれまくった会場の空気とか、カラーライトで瞬時に染まっていく白長布の舞台装飾とか。
あのライブハウスの一夜が、一年後の今、ここにあって……本当に、すごいステージに行けたんだなあと思う。
今曲「帰り路をなくして〔Live〕」のアレンジで、何が良いっていったらやっぱりバイオリン。
1番ではまだ鳴りを潜めているんだけど、2番のサビからが、もう最高すぎてやばい。
この弦の震えこそが、「緋の翼」なんだと分かる。
スピッカートは羽ばたきで、ビブラートは風切羽で切られた風。
このLP盤のバカでかい歌詞カードを眺めがらようやく「帰り路をなくして」は鳥の姿を歌っていたのでは?と思った。
旅の涙には戻り道がない。
この日は二度と無いことを気付く涙だからだ。ちっぽけな自我など何かに呑まれて消える。
あらゆるものを喪失しながらあらゆる初めてのものに立ち会わされる。
そういう旅のぼう然とした無力感は、カタルシスでもある。
「翼の生えた【もういいや】感」とでもいうのか、海を渡る渡り鳥に感情表現があったらきっと苦笑いで感じているだろう感覚。
引用:2017年5月の日記 : 隠花微温室
上記は私の大好きな画家のブログにある文章なんだけど、私が感じた今曲の魅力がすべて書かれている。
「あらゆるものを喪失しながらあらゆる初めてのものに立ち会わされる。」
「海を渡る渡り鳥に感情表現があったらきっと苦笑いで感じているだろう感覚」
ヴァイオリン:バイオリン属に属する4つの楽器の中で最も小さく、最も高音域を出す楽器
最も小さい身体で、最も高く鳴き、その先を目指す鳥の姿を、ようやく目に出来た気がする。
『TIny Screams』で一番聴いた曲は「ラストメロディー」
イントロでぱあっと、レンガの壁に沿って銀杏並木が続いている、
そんな秋の情景と日差しが瞼の裏に浮かぶところが、やけに不思議で好きで、何度もその光景に陶酔していた。
イントロでぱあっと、レンガの壁に沿って銀杏並木が続いている、
そんな秋の情景と日差しが瞼の裏に浮かぶところが、やけに不思議で好きで、何度もその光景に陶酔していた。
今曲の「ラストメロディー」は、間奏のエレキギターが印象的かな。
ノイズのような、断絶の音。
『Tiny Screams』で描いていたのは「涙をうかべて 歩いてゆく私に 聴こえないメロディー」で、今曲にあるのは、「もう何も言えずに 頷く私に 聴こえないメロディー」という感じ。
前者からは、終わってしまった、故に祝福の光に満ちたような銀杏並木を歩いて行く姿をイメージするけど、後者からは、聴こえなくなってしまったメロディーを、まだ涙目で探して立ち止まっている姿が思い浮かぶ。
崩壊の過程を目の当たりにしているような音で、それでもこの曲の情景が美しいのは変わらない。
同じ「ラストメロディー」でも、アレンジだけで全然違うね。
一言で言えば、『Tiny Screams』ver.の前日譚っぽくて感動したっていう話なんだけど。
5.「X (Live at Zepp Nagoya on May 1 ,2017)」
うわああああああああん!!格好良いよ〜〜〜〜!!
原曲のボーカルはエフェクトがかっていて、そっちも格好良いんだけど、やっぱり鬼束ちひろは素の歌声が似合う。
ライブでは『BORDERLINE』の迫力に圧倒されていたけれど、「X」もめちゃくちゃ格好良かったんだね。
は〜〜〜〜、音源化してくれて嬉しい……ありがとうございます……。
凄すぎるの一言しか出てこないよ。
「その腕を伸ばして 何もかも放つように 二人は歪んでゆく」
「We're calling We're going high」
歪んで、落ちて、それでも高みに行こうと、魔性で悲痛なその声に引きずり込まれたい。
6.「火の鳥(Live at Zepp Nagoya on May 1 ,2017)」
待って、泣く泣く泣く。
『syndrome』と『syndrome @ Zepp Nagoya』のラストトラックがこの曲であったこと。
最後は生きることを肯定して、観客をライブハウスから送り出してくれたこと。
今曲の伸びやかで、確かな力強さに、泣けて泣けてしょうがない。
「億千の夜を越えて 貴方の翼になり その背を押してゆく
生きる意味など 他には何も要らないから」
「扉をあけて 声を聴かせて」
「悲しい微熱よ 貴方に届け
素直になれない 涙が溢れる 貴方に届け」
「貴方」っていうのは、他の誰でもない、一リスナーの私に向けて言っているんだと、その優しい声が教えてくれる。
こんな、こんな美しくて優しい応援歌があっていいんですか……?
文学の世界は広大で自由なので、自分の場所は必ず見つかります。「天才の作品の周辺には、われわれが小さな光を入れておくための場所がある」とカフカも『日記』に書いています。「天才的なものは人をただ模倣に駆り立てるだけではない普遍的な激励だ」というのです。
「普遍的な激励」、この言葉に相応しい曲を、2017年の鬼束ちひろから聞けて良かった。
何というか、彼女のファンでいて良かったと思うよ。心底。