★(R18ノベル)「赤椿と白椿」
僕は兄さんが必要なんだ!
兄さんの身体でできている人形が欲しいわけじゃない!※注意 性描写があるため、未成年のプレイを禁じます。
また、近親・残虐・背徳の要素を含んでいます。
(※2020/11/12 「『赤椿と白椿』感想」公開
2021/05/15 「『赤椿と白椿』感想【改訂版】」公開
T-fk-Tack^2(笹笠箕範さん)制作の18禁フリーノベルゲーム『赤椿と白椿』をプレイし、その業の深さに痺れるものがあったので感想を書いておきます。
知ったきっかけはTwitterのTLに流れてきたタイトル画面を見かけたこと。
ぱっと見た感じ、陰鬱そうな和風美少女が描かれていたので、「おお、18禁乙女ゲーかな?面白そう」と思ってDLしました。
開始1分後の私「え、これ実の兄×弟BLなの?乙女ゲーじゃなかったんだ……まあBLも好きだし別にいいか」
開始3分後の私「え、お兄ちゃんが女になった???まさかのリバ女体化BL???」
開始5分後の私「………やばい、SFになって終わった。
えっ、何これ、えっ……私こういう闇鍋BL大好きなんだけど!???」
ストーリーは、タイトル画面のイラスト&キャラデザを担当したnatuさんのツイートによくまとまっています。
物語は肉体関係を持っていた名家の兄弟。
ある日兄は病気で亡くなり、残った弟は跡継ぎを残すため兄を女として蘇らせる。
引用:(https://twitter.com/nasunatu/status/1318564510064549888)
和風、BL、兄弟、近親相姦、女体化、SF、自殺、背徳。
プレイ時間そのものは5分で終わる短編ながら、展開は濃密で、本当にあれは5分間の出来事だったのか信じられない。
人を選ぶ要素がこれでもかと放り込まれてはいるものの、私は非常にこのゲームの事が好きです。
こういう性癖を闇鍋に突っ込んで煮詰めたような物語に出会う度、フリーノベルゲームってすごい媒体だなと思わざるを得ないな。
まず、BGMのチョイスや流し方が好みでした。
タイトル画面に流れる、何かを忌み嫌い呪っているような音楽や、人の死に黙する無音などが、あの世界の陰惨な雰囲気を引き立てていて良かったです。
逆にシステムは、セーブ&ロード機能やバックログ機能のない、一方通行仕様。
5分という短いノベルゲーだし、特に支障はないんですが、バックログ機能だけは欲しかったところ。本当に些細な不満だけどね。
ではでは、以下、18禁ネタバレ感想!
ほぼ最初から最後までのストーリーが分かってしまうので、未プレイの方はプレイしてから読んでください。
「えっ、えっ、この兄弟はどこに着地するの?」という困惑は、ネタバレされていない状況の方が確実に楽しめるし、自分の性癖について、考え込む要素も多々ありました。
兄×弟が弟×兄(女)になった時に発露された、男同士ゆえの抑圧とか、その根底にあった家族愛の歪さ。
男が男を抱いても孕まないのに、男が女を抱けば子が成る因果。
電脳データで人格や世界を構成出来るSF世界で、家柄や遺伝子を存続させるために生命を生み出し続ける意義。
何気なく好きでいた自分の趣味嗜好の根源について、考えるきっかけをくれたこのゲームのことを、私はきっとずっと大好きでいると思う。
なので、このブログを読んでくれて興味を持ってくれる人がいたら、ぜひぜひプレイしてみてください!
<腐りゆく白椿> 弟編
僕には兄さんだけがいればよかったのに。
ひとつ年上の兄との逢瀬に溺れる弟。
それが僕だった。
まず、開始直後の3行時点で「あ、BLだったんですか!??」と驚きました。
boothの配布画面にあるタグにはきちんとBLと明記してあったけれど、見落としていました。
タイトル画面の女体化した兄こと女版瑠璃、すごい美しくて儚げでいいですね。
兄に抱かれたのは、僕が十二歳の時。
ストリーム動画で見つけた男女の逢瀬を、親に隠れて兄と見ていた。
好奇心と思春期の倒錯。
部屋には机と寝床だけ。
情欲をぶつける相手は互いしかいない。
限られた環境の中で、生まれたままの姿で睦み合う以外の考えは無かった。己の身が焼き爛れるほどの熱さを憶えている。
(略)子どもの情欲ほど激しいものは無い。
覚えたての「生殖ごっこ」はやめられない。兄との逢瀬は人生の一部じゃない、人生そのものだ。
(略)
何百の女が欲しがるキス。
何千の女が欲しがる強直。
何万の女が欲しがる子胤。
総てを独占した5年間だった。
ここの文章、本気で最高。
13歳の兄×12歳の弟の性行為を「好奇心と思春期の倒錯」と表すセンスがたまらない。
「覚えたての「生殖ごっこ」はやめられない」という一文も。
13歳と12歳の肉体ってまだ性行為をするには早熟だろうに、知識と本能が「生殖ごっこ」を知っていて、求めていて。
初めての行為を試す相手に家族である兄弟を選んだのも、常識の道からは外れているけども、心情的には理解できてしまうのがたまらない。
自分の愛する家族は、自分を裏切らないという信頼を土台に、首をもたげる性欲を思うと、すごく萌える。
同じ血が流れているから惹かれ合い、同じ血が流れているゆえに、2人の触れ合う肌には澱みが溜まる。
2人分の、濃くて重くて、黒く澱むその血の赤さがとても良い。
また、兄弟関係というのもすごく私の性癖。
この世に生まれ落ちた瞬間には始まっていた兄弟という関係性が、熱を持ち触れ合ってしまった瞬間に、腐って終わる。
他人同士だったら始まりになるはずの肌の重ねが、血縁同士だから終わりになる、という構造が好きです。
この背徳、この倒錯、この禁忌。
近親相姦特有の仄暗い魅力が、開始数分の文章の中で雄弁に花開いていて、興奮しました。
そんな兄弟の蜜月も、兄こと瑠璃が突発的な病により死亡したことで幕が引かれる……かと思いきや。
ゼペット計画と名付けられた人体生成技術の開発。
元の人間細胞から年齢性別を思うがままに生成しなおす技術だ。(略)
記憶まで複写するピノキオまでは成功していないが、産まれたばかりの人間、コッペリアの生成には成功していた。(略)男の肋骨一本で妻を創造する。
神の領域は既に、人間の足跡でぐちゃぐちゃになっているのだ。
急にすごい技術力!!!!
今までイメージしていた舞台は、現代日本だったので、急にこの世界の技術力の高さが判明してびっくりしました。
このゲームって、令和にあと3個くらい元号を重ねれば実現しそうな近未来の話だったんですね……。
ただ、そこで語られているのは創世記や、
「神である主は、人から取ったあばら骨を一人の女に造り上げ」
19世紀フランスのバレエ演目『コッペリア』、19世紀イタリアの童話『ピノッキオの冒険』からの引用なのが、皮肉が効いていていいですね。
また、
「昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」聖書・伝道者の書 1章9節
引用:(https://grace-church.or.jp/science/ips.htm)
という聖書の一節を思い出したり。
「昔あったものは、これからもあり、かつて起こったことは、これからも起こる。日の下には新しいものは一つもない。」って、個人的には真理だと思うし、またこの兄弟の向かう先をもピタリと言い当てていると感じます。
女として兄は生成された。(略)
男である兄を否定しきった畜生だ。
これから「繁殖」という名のもとに「虐待」しきってやるのだ。
僕達「兄弟の部屋」に肉人形を蹴り込み、それまで体を覆っていた着物を剥ぎ取り、赤裸にしてやった。
足袋を履いたままの足で、爪先をねじ込んでやった。
僕がこいつの顔面にブッかけてやれたのは、女体で欲情したのではなく、兄の血の匂いがしたからだ。(略)
口に注がれたのと同じ、兄の血の匂いの中で、僕はそれまで奥底に溜まっていた、オスの欲望を暴走させた。
なんて醜いんだ、僕が異性に強いる淫行の残虐さは。
この相反する行為と感情が、大大大好き!!!
愛する兄の骨から生成された女なら、愛してやればいいのに。
手を絡めながらでも抱いて、子をなして、幸せな結婚生活を送ればいいのに。
そうはならないんですよね、この女は「男である兄を否定しきった畜生」だから。
ここの音楽もこれまた不穏さに拍車をかけていて、めちゃくちゃテンション上がりました。
何が最高かって、「僕はそれまで奥底に溜まっていた、オスの欲望を暴走させた。」の一文で、これに全てが詰まっているとすら思います。
拝音が瑠璃に抱かれている時、そこには確かに快楽も幸せも十二分にあったんだろうね。
でも拝音の、オスとしての欲望はずっと抑圧されていて、だから自分と同じように挿入される側であるメスを前にした時、その欲望は暴走してしまうし、止められる訳がなくて。
被虐されていた側が、苛虐出来る立場に反転した時、その激情の迸流が大好きです。
それに、この女はただ抱かれて終わっていた男の自分と違って「繁殖」が出来るし、その責務が自分に強要されていることも、拝音の苛烈さを増長をさせていると感じたり。
「兄は繁殖行為などしなかったのに、なぜ自分が女相手にこんなことを?」って弟がその行為を嫌悪するのは当然の流れで、その困惑と憎悪の理解者なんて誰一人としていない。
詰んだ状況の中で一人暴れまくる男、哀れでどうしようもなくて可愛いです。
それはそれとして、やってることはかなりえげつないんですが……。
処女膜を足の爪先で破るまではまだしも、腹に安全ピンを刺すのは流石に閉口する。
ただ本人は「なんて醜いんだ、僕が異性に強いる淫行の残虐さは。」と自覚しているし、それだけオスとして抑圧されていた欲望が強かった証なのかな。
また、兄という唯一の理解者を失った喪失感、その他諸々、拝音が現状持てる感情全てを彼女一人に向けた結果があれらの行為ということは、八つ当たりしていたとも言えるし、甘えていたとも言えるのもかもしれません。
話は逸れるけど、「兄弟の部屋」っていうのも性癖にクリティカルヒット。
年頃の兄弟が二人っきりで机と寝床しかない部屋にこもって何をやっていたか、周囲が察しない訳がないのに、その行為がその場所ごと黙認されていたという事実がいい。
いわゆるヤリ部屋的概念が好きなのもあるし、性行為が昼夜問わず生活に組み込まれている不健全さにも興奮する。
結局女が孕み息子を産み落とした5年後、女は剃刀自殺。
しかし、その女は記憶がなく肉体のみ再生した「コッペリア」ではなく、記憶も合わせて再生された「ピノキオ」だと判明。
作り物でも、あれは、僕の愛した兄だった。
何故だ、何故、何も言わなかったんだ。
「女になった兄」として弟に組み敷かれて、何故なんだ。
僕の兄さんじゃなかったのか。
僕を愛する、僕の愛する兄さん。
どうして。
何も伝えず、また勝手に死んだのは何故だ。
この心の奥底からのうろたえ方が切実で萌えますね。
兄編こと「崩れゆく赤椿」で明かされる瑠璃の心情を考えれば、納得できるところもあるけれど、それでも拝音からしてみれば、裏切られたと感じるしかないんだろうなと。
「どうして」と答えの出ない問いを繰り返し続けるのは、生き地獄と言ってもいいぐらい、相当に辛いことだと思います。
というわけで、兄の自死を受けて、拝音も安楽死を選択。
これにてこの兄弟の因果も終わる……と思いきや。
僕は息子より年下の女として再生される。
!???!?!?(困惑)
ここは森川のクラウドの中。
電脳世界の中で電子データとして、僕達兄弟は存在しているのだ。
それは光でもあり闇でもあり、あるディスプレイには子供向けアニメの信号の一部にもなっていた。
急にSF!!!!!!
「お兄ちゃん。この中に私が居るの?」
女児は年上の男の子に尋ねる。
「そうだよ。ここには僕のお父さんもお母さんも居るんだよ」
サンプルでもあり、遺伝子を引き継ぐ為の夫婦にもされ、この二人が森川家の歴史を刻んでいくのだ。
……兄妹でまた繰り返すんですか?こんなことを?
絶句しました。ドン引き。
この現状を惨状と言わずして、何というのか教えて欲しい。
電子データとして保存されて、永遠の愛を電脳世界で紡ぎ続けて、この2人は一体何になるんだろう。
腐り落ちた花弁は地に還ることが自然の摂理で、それは生まれ落ちて必ず死ぬ生命に与えられた恩情の一つだろうに。
その恩情から逃れたこの2人は、何処にも行けない電脳世界で、愛を繰り返して、虚無を紡ぎ続けて、一体、何に……。
というか森川家、電脳世界を構築出来るほどの技術力があるのなら、生身の肉体が繁殖して繋げる遺伝子に固執する必要なんてないのでは?と思うんですが。
でも逆に、電子的に記憶をコピーしたりしなかったり、まさしく神のように人の領域を踏み荒らしてしまえるから、生身の肉体に固執してしまうんだろうか。
電脳世界に登録する新しい遺伝子を生み出すための肉体の器として、あの兄と妹は作り出されたんだろうし。
そう考えると、殊更、電脳世界で虚無を紡ぐあの2人は、用済みという処理で切なくなります。
<崩れゆく赤椿> 兄編
「腐りゆく白椿」編をクリアするとタイトル画面に追加される兄こと、瑠璃視点の話。
お前の裸体は美しかった、それが間違いの元だった。
互いに行為に溺れて、お前を同性愛の道に引きずり込んだのは私だ。
長男として生まれるべきはお前で、私は生まれるべきではなかった。
死の瞬間を憶えている。
誕生の瞬間と一緒だ、何もない。
「長男として生まれるべきはお前で、私は生まれるべきではなかった。」と言う通り、瑠璃には最初から、生きる意義も気力もなかったんだなと思います。
彼がそうなるに至った出来事や理由は本編では語られてはいないけど、そもそも生まれついての気質が、生ではなく死に向かうタイプの人っていますし、彼もそうだったのかもしれません。
女になった私への惨たらしい仕打ちをうけて、よくわかった。
兄である私への情愛の深さを。
血を流す度、よくわかったよ。
同時にお前の欲望を、私がどんなに踏みつけていたかもわかった。
お前を歪めたのは私だ。
二度目の人生で、しっかり思い知った。
ここで彼が、一度目の人生の結果を、身をもって知っていくところがとても好きです。
ゲームでいうならリザルト画面とでも言うのかな。
自分が「ピノキオ」だと伝える術は、筆談なり何なりいくらでもあったはず。
でも、今受けているこの被虐の痛みが、この傷が、自分がこれまでやってきたことの結果だとしたら、そりゃあ拝音にかける言葉なんてないよな……と思います。
彼にとって、この二度目の人生は再誕ではなく、単に一度目の人生の答えあわせをする時間でしかなかったんじゃないでしょうか。
なので、彼が二度目の人生を自死で終えたことを、クリア当初は困惑していたものの、しばらく経つと「ああするしかなかったのかも、あのお兄ちゃんは……」と思うようになったり。
死の瞬間を憶えている。
誕生の瞬間と一緒だ、何もない。剃刀を持つ手が震える。
大丈夫だ。今度も一瞬で終わる。
お前は生きろ。
この「お前は生きろ」という言葉に対し、クリア直後は「はあ!?自分が死ぬことを選んだ世界で、弟には生きろって言うのか、お前は!??それを知った弟が後を追わない訳ないって分からないはずないだろ、兄としての責任感っていうものがないのか!??」とブチギレてたんですが、今は本当に分からなかっただけなんじゃないかなと思っています。
彼の根幹には最初から「自分は生まれるべきではなかった」という自分の命に対する自己蔑視があって、なのに弟である拝音に対しては、生きることを望むんですね。
「お前は生きろ」と、「うらみ、うらまれ、罪にまみれて、欲におぼるる、果てはむくろのいばら道。どうかお前が、その道から逃れられますように。」と最後に思い残すぐらいには。
だから、本当に理解していなかっただけなんだと思うんです。
拝音の「僕には兄さんだけがいればよかったのに。」と思う気持ちが、拝音にとってはどれほどの唯一で絶対だったのかを、瑠璃本人だけが、ずっと。
本人が自分の命を軽視してしまっている以上、他者がどれだけその人に生きていて欲しいと願っても、結局は届かなくて。
そのすれ違いが、悲しい。
クリア当初はこの結末をとてもバッドエンドだと思っていたのだけど、今はこう……そんな風に一言で言っていいのかという気持ちがあります。
あの兄弟のすれ違い、「他人が思うほど、自分が自分の命を大切に扱えない」ってことは、軽重の差こそあれ、フィクションでもリアルでもよくある過ちじゃないですか?
なのに、私にとって何でこの2人がここまで特別なのかと言ったら、過ちの上に更に間違いを重ね、続いてゆく醜悪さが好きだからだと思います。
瑠璃が病で倒れた時に、その死を見送っていれば。
二度目の人生を剃刀で終わらせた時、その死を受け入れていれば。
電脳世界で、衰退も発展もない恋を続けることなんてなかった訳で。
私はこのゲームの結末を、腐った花に保存加工処理が施されたようなものだと感じます。
家族愛という土壌の上に性欲の根が張り、近親相姦という形で芽吹いた畸形の愛の花に結実するものなんてなく、ただずっとそこにあり続けてしまう哀れさが好きです。
本当だったら、椿の最期は、首が落ちるように地に落ちて、それで終わりのはずなのに。
腐って崩れて、土に還ることの出来ない花の醜さ、その愛の成れ果てを、私は見つめていたいんだなと思います。