switch『Ministry of Broadcast』というゲームが大好きです。
クリアまでの所有時間は7時間程で、価格は1480円!安い!
Ministry of Broadcast は
ジョージ・オーウェルの小説「1984年」とリアリティショーを組み合わせた
ストーリー性の高い横スクロールアクションゲームです。
その世界はダークなユーモアや皮肉、
そして管理社会というもののバカらしさに満ちあふれています。亡命へと続くアクションを、心行くまでお楽しみください。
ウォールショーへ、ようこそ。
steam (PC)→switchと展開していて、私がプレイしたのはswitch版。
steamのレビューを見ると操作性とリトライの悪さに言及されまくってるけど、移植版だと全然そんな事はなかった。
かなり細かくリトライポイントが設定されてるし、そのリトライポイントもポーズ画面で、好きな場所の好きな時に1発で飛べる。
ここまで親切な横スクロールアクションはちょっと思いつかないレベルで親切ですよ。
PLAYISM による公式サイト&PVのクオリティも芸術的。
番組のルールはただ一つ。
勝てば、亡命。
巨大な壁で分断された管理国家。
男は、家族に再び会うため、国家が放送する過酷なリアリティ番組
「ウォールショー」に参加することに。あまりに険しい国外への道のりは、
油断すればあっという間に命を落としてしまうだろう。その生き様、その死に様。
すべては政府に監視されている。すべては国中に放送されている。亡命へと続くアクションを、心行くまでお楽しみください。
とにかく、ドット絵のビジュアルが圧倒的に良い。
舞台である番組セットの至るところに、遺跡や遺物といった彫像が置いてあって、その考古学の雰囲気が私の好みど真ん中だった。
こんなん好きになるなという方が無理じゃない!??
オタクだったらどデカドット絵遺物大好きだよね!?私はそうだよ!
(後述するけど、この3つの像、全てに元ネタがあります。
そういうところもオタク大好き)
難易度も、とにかくちょ~~~どいい。
飛んだり跳ねたり走ったりするだけのアクションゲーに加え、主人公のモーションも豊富だから動かしているだけで楽しいんですね。
難易度もノンストレス&スムーズにクリア出来るレベルで、ついつい暇があると手が伸びてしまう。
私は普段、一度クリアしたゲームはあまり再プレイしないタイプなんだけど、このゲームだけは3周ぐらいしてます。
自分の腕とゲームの求めるスキルがぴったり合ってる、ゲームと相思相愛であるってこんなに素晴らしいことなんだなって思います。
以下はネタバレ感想&考察。
ドット絵といえど……というかドット絵だから結構ゴア表現がきついし、苦手な方と未プレイの方はご注意。
ドット絵でのゴア表現
今作のゴア表現、精神的にきついタイプでしたね。
剣山の上で人を踏み台にするってだけでもきついのに、最終ステージではそこに大量の血とリアルボイスが加わって、進めるのにかなり躊躇した。
こう……ゲーム制作者の方々って、ドット絵ならどれだけグロい要素入れてもいいと思ってる節がありません?
道中に主人公が完全に閉じ込められて餓死するトラップがあるんだけど、その様を30秒かけて丸々描いたのはもはや制作者の性癖でしょ。
私が見つけられてないだけかもしれないけど、たぶん餓死するトラップってここだけなんですよね。
そのワンイベントのためによくぞここまで……。
カラスの「ヴァルハラが待ってるよ!」というコメントが的確。
高い所からおちて骨折する時のゴギャッ!!っていう音もやけにリアルで背筋が凍るし、今作のサウンド担当者は本当に素晴らしい仕事をしていると思う。
PVの序盤で流れてるメインBGMの物哀しいメロディーも大好き。
私が今作で一番好きなのは、ゲームオーバー&リトライ画面のブラックユーモア。
トラップに引っかかって死ぬたびに
「ミスっちゃったね 早く死にたかったの?」
「死ぬことしか出来ないんだね」
「深淵によろしく言っといて!」
「見当違いの質問だね 回答は死だよ」と、
相棒兼死の象徴兼カラスが皮肉を言いに来るところが超可愛い。
リトライ画面の「オマエのせいで放送事故だよ」っていう罵られセリフも最高。
主人公のことを「オマエ」、自分のことは「ワタシ」と呼ぶところまで可愛くない?
ただこのゲーム、開発者インタビューを読まないとストーリーの背景が全然掴めないのはどうかなと思う。
1940年代のチェコの政治的情勢とか、ソ連型社会主義への傾倒とか、プロパガンダとしてのテレビとかそんなの分かる訳ないだろ!という情報が多すぎ。
時代背景の考察
開発者インタビューでは否定されているけれど巨大像の元ネタは、ソビエト社会主義共和国連邦(通称:ソ連 建国1922年12月~解体1991年12月)の第2代最高指導者、スターリンで間違いないでしょ。
(引用:図説 チェコとスロヴァキアの歴史 (ふくろうの本/世界の歴史))
(引用:レーニンの頭像 - ウラン・ウデ)
途中にあったこの兵士像も、特徴的なシュタールヘルムとオーバーコートから、第二次世界大戦のドイツ軍兵士なのが推測出来る。
(引用:Luftwaffe Greatcoat - Aviation Forum - Treasure Bunker Forum)
今作のベースと明言されている、ジョージ・オーウェル『1984』の後書きにも年代への言及があり、そこから見ても今作は1940年代後半~1950年代前半の間にチェコで起こった出来事だと考えて良いはず。
本書は、1949年に刊行された世界的名著『1984』の全訳である。
オーウェルは1903年イギリス統治領インドで生まれて、1950年にロンドンで亡くなった。
その間の世界情勢を見ると、1914年には第一次世界大戦が、1939年には第二次世界大戦が勃発し、その後東ヨーロッパ諸国が次々と社会主義化。
さらには1929年に起きた世界恐慌を機に、ファシズムが台頭した時代でもあった。通信手段やマスメディア、さらには武器の発達などといった要素から国家による国民の監視やプロパガンダによる扇動が可能となり、本書のテーマともなっている全体主義が生まれたのもこのころである。
ちなみに「全体主義」という言葉自体は1923年、イタリアの政治家であったジョヴァンニ・アメンドラにより生み出されたようだ。
引用:(1984 (角川文庫) / 訳者あとがき)
1940年代のチェコスロヴァキアがどうなっていたかというと、1939年、第二次世界大戦中はドイツの保護領下に置かれたものの、終戦&ドイツの敗戦によりソ連の影響下に。
共産党が政治の主導権を握り、ソ連と同等の社会主義化が押し進められていった。
1939年3月15日、ドイツ軍はチェコを占領し、翌日ヒトラーはチェコとモラヴィアを保護領とすると宣言した。事実上はドイツによる占領体制であった。
が、1945年第二次世界大戦がナチス・ドイツの敗戦に終わると、チェコスロヴァキア領の大半がソ連軍により解放。
だから、スターリンの像は山の頂上や地表の雪原にあり、逆にドイツ兵像は地下深くの水中に沈められているんですね。
そのスターリン像だって「非スターリン化」が始まった1950年代には速攻破壊されまくっていったので、自業自得というか、驕れる者久しからずというか。
『1984』との関連性
小説『1984』では、この社会主義化が強く誇張されたディストピアが舞台。
今作の背景にも、それに影響されたであろうアイテムがちらほら窺える。
片側の壁に、屋内に飾るには大きすぎるカラー刷りのポスターが貼られていた。
ポスターには幅一メートルを超える巨大な顔だけが印刷されていた。
四十五歳くらいだろうか、濃い口ひげをたくわえ、いかめしくはあるが端正な顔立ちである。
こちらが動くと視線が追いかけてくるよう入念に仕組まれた絵があるが、このポスターもそれであった。
絵の下には「ビッグ・ブラザーが見ている」と、太字のコピーが書かれている。
テレスクリーンは受信と発信を同時に行う。
ウィストンが何か物音を発すれば、それがきわめて小さい囁き声でもないかぎり、なんでも拾われてしまう。
それどころか、例の金属板の補足範囲内にいると、音声のみならず姿までも捉えられてしまうのである。
無論、いつ見られており、いつ見られていないかを知る術などありはしない。
どのくらいの頻度で、そしてどのようなシステムで思想警察が個人個人の回線に接続しているのかは、勘に頼るしかない。
全員が常時監視されている可能性すら、じゅうぶんにありえるのだ。
あらゆる物音が聞かれ、暗闇の中でもないかぎりはあらゆる動作が細かく監視されていると想定して人は暮らすしかなく、事実、そのように暮らすのは習慣からもはや本能となっていた。
タイトルである「Ministry of Broadcast」通称:放映省もここから。
この4つの建物は、政府の全機能を分割した四つの省の拠点だった。
<真実省:ミニストリー・オブ・トゥルース>は報道、エンターテインメント、教育、そして芸術を統括する。
<平和省:ミニストリー・オブ・ピース>は戦争を司る。
<愛情省:ミニストリー・オブ・ラヴ>は法と秩序を維持する。
<豊穣省:ミニストリー・オブ・プレンティ>は経済にまつわる業務を担う。
ただ、小説に沿うなら「Ministry of Broadcast」は真実省の一部なのかな?とも思えるんだけど『1984』の真実省と今作の放映省の姿は違う。決定的なまでに違う。
今作で表示される放映省からのメッセージは「一度見たものは記憶から消せない すべてを監視している すべてを公開している」というもの。
この姿勢は、『1984』における省の方向性とは全くもって違う方向を向いている。
あったものはなかったもので、なかったことはあったことで、りんごは青色、2+2 は 5。
過去と歴史と事実と真実、全てを徹底的に改竄していくのが『1984』におけるミニストリーなんですよね。
延々と続けられるこの改訂作業は新聞のみならず、書籍、定期発行物、パンフレット、ポスター、リーフレット、映画、サウンドトラック、漫画、写真などなど、政治的およびイデオロギー的意義を持ちえる文献や書類の全てが網羅されている。
来る日も来る日もほとんど毎分欠かすことなく、過去が改変されていくのだ。
こうして党の発するすべての予見は文書化された証拠によって正しかったと証明され、目下の必要性と矛盾するあらゆる報道、あらゆる論説は、完全に記録から抹消されるのである。
すべての歴史は、必要なだけ何度だろうと根こそぎ取られ、重ね書きがされるパリンプセストと変わらない。
亡命EDと凍死ED
故に『1984』のビッグ・ブラザーは『Ministry of Broadcast』のビッグ・ブラザーではない。
じゃあ今作で「一度見たものは記憶から消せない すべて見ている すべて聞いている」のは誰かと言ったら、それは私達プレイヤーでしょう。
ありがちな答えではあるけど、でも亡命EDの出口の前で彼が私達にお辞儀をしたのもそういう事だと思う。
ただ個人的には、亡命に成功するEDより失敗して凍死EDの方が好みかな。
序盤、カラスの「オマエが自信を取り戻し希望を持ったからね ドン!ワタシ参上!」発言でもう感極まって泣きそうでした。
暴風雪の中を「オレンジ!行かなきゃ!!! 」って励ましてくれて、主人公が膝をついた時には「オレンジ!話そう!!!」って飛び込んできてくれて、そして最後には共に雪の中で事切れてくれて。
カラスが最後に「オレンジ?」と呼びかけた声の細さを思うと今でも涙が出ます。
彼が死んだら自分も消えるって分かってるから、せめて最期は彼の傍らで。
消えゆく命に寄り添う黒い温もりが、私の胸を打つんだと思います。
私にとっては、このカラスと主人公の組み合わせ、やり取り、会話全てがドツボでした。
お互いちょっと皮肉げだけど、だからこそいい相棒で。
今作の続編は望めないだろうけど、またいつかこんなナイスバディものゲームをやれたらいいな。