復元可能な灰壺

個人的な感想文ブログ

インディーズBL漫画/さいとう林子『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』感想

さいとう林子『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』というインディーズのBL漫画が好きです。

数年前にたまたまTwitterに流れて来た同人誌版(元々はTwitterで連載されていたそう)の告知ツイートで知り、タイトルに惹かれてそのまま購入。
その直感は当たっていて、私のオタク人生の中でもベストBL漫画の中の一つに数えていいくらいに好きです
電子版でも所持していたくて、kindleでまた購入するぐらいには好き。
数日前に再読したら「やっぱりこの漫画、めちゃくちゃいいよな……」としみじみ思ったので、感想を書いておきます。


内容としては、逃避行BL……?
世の中に何の興味もなく、ダラダラとコンビニバイトをしていた日本人の樫村を、母親殺しの過去を持つ日系アメリカ人の須藤が誘拐し、奇妙な軟禁生活を始めるというもの。

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出典:さいとう林子『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』より

私はこの作品のタイトルがすごく好きで『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』という文章を口に出すだけで幸福を感じるんですが、各話の題名もかなり好きです。
息する屍体」「どこへ向かっても行き止まり」「幽霊の取り決め」とか。
これらの単語から伺える通り、この漫画の底に横たわっている、生きる行動も死ぬ行動も取らない停滞感、ただ緩やかな寂滅を待っている倦怠感が私は好きでした。


出来るだけ眠って  人生の総プレイ時間ショートカットしたいんすわ」「役にも立たない空っぽのクズが生きてたってどうしようもないよ」と樫村が言う通り、彼にはあまりにも目的がない。
それは親の育て方が悪いとか、環境が悪いと言うのもあるのかもしれないけど、そこら辺が語られていない以上、ただ彼の生まれ持った性質が怠惰である可能性の方が高くて。

対する須藤は、もう完全に親の育て方が悪かったし、環境が悪かった。
母親の自殺の介錯をさせられた子供にまともでいろという方が酷なんだけど、それにしたって人の首を締めたという事実に対する彼の感情はフラット過ぎる。
その平坦さを、樫村は「生まれたての赤ん坊みたいに無邪気で不器用だ」と評したけど、私は単に彼が現実感というものを感じられていないだけだと思います。

私はこの2人の体だけが生を揺蕩っている生き様が好きでした。
心が現実に触れていないから何一つ目的が見出せず、辿り着きたいところも辿り着くべき場所もない漂流の旅。
悲しい村」という章での2人の会話が、彼ら2人の本質をよく表していて好きです。

樫村「これから…どこへ向かうつもりなんだ?
須藤「北へ向かいカナダへ行きます。ツテがあるので衣食住はどうにか……
樫村「そうじゃなくて。
  お前は一体何に追われていて
  俺たちはどこへ行けば  ゆっくり眠ることができるんだって 
  きーてんだよ
」 

樫村だって須藤の中にその答えがないことなんて分かり切っているはずなのに、そう聞くんです。
あの狭い車の中で、2人共が2人分傷ついていることが、悲しい。

だからこそ、この物語の結末はあまりにも、あまりにも嬉しかったです。
彼ら2人がここまで一緒にきた理由も、これからも一緒にいるために取った行動も。
全てに答えを叩きつけてくれたあのラスト5Pが忘れられない。

私と同じように逃避行BLが好きで、かつその旅に答えが欲しい人にはおすすめの作品です。
kindle版よりも、DLsite版の方が若干試し読みページ数が長い気がするので、この雰囲気を好きになれそうなら是非。

以下からはラスト5Pのネタバレ感想。

 

 

 

 

殺されると知りながらも、腹違いの兄弟(エリック)の下に向かった須藤が、樫村に残した手紙の文章。
あの手紙の一字一句に至るまで、全てが好きです。

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出典:さいとう林子『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』より

人を好きになると  いつまでも生きていて  ほしくなるのですね…
 ボクはこの世界のどこかにいます
 あなたさえ良ければ  もう一度会いたいです。

樫村を見逃してもらうために須藤はエリックに殺されにいった訳だし、須藤の死の要因は樫村にある。
それでも自身の死を引き受けてまで、須藤は樫村に生きて欲しかったし、同時に自分が樫村の生きる理由になりたかったんだろうなと思います。

そうでなければ、自分が死ぬと分かってるのに「ボクはこの世界のどこかにいます」なんて言わないし「あなたさえ良ければ  もう一度会いたいです。」と再会の申し出なんてしません。
須藤はあの世ではなく、”この世界”でまた樫村に会いたいと言った。
そんな風に乞う願いは、希望の示し方は、なんて優しいのだろうと思います。


それに対する樫村の答えも、私にとっては完璧でした。

エリック「無駄な足掻きはよせ、どうせ須藤も死ん……」

樫村 「いいや! 死んでない!
   俺は決めたんだ 須藤の言葉を全部信じるって
   アイツが生きてるって言ったら生きてるんだ
   俺に会いたがってる 行かないと…!

このセリフ、樫村の生きる理由になりたかった須藤にとって、そして樫村自身にとってもパーフェクトな回答じゃないですか?

フランスの思想家ルソーの言葉に「私達はいわば二回この世に生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために」というのがあるけれど、まさしくこの瞬間が樫村にとっての再誕なんだろうと思います。
須藤の死によって始まる2回目の生の目的は、もちろん”須藤とまた会うこと”。
エリックが殺したと明言している以上、須藤は物理的には死んでいるんだろうけれど、でもそんなことは何一つ関係ないんですね。

これからずっと、樫村は須藤の姿を探して、どこまでも歩き彷徨っていくのだと思います。
言葉も分からない異国でお金を稼ぎながら、食事や寝る所だって一人で確保しながら。
そういう生活は困窮の連続かもしれないけれど、でも決してめげる事なく。

須藤を求める旅が続く限り、樫村にとっての眠りはもう”人生の総プレイ時間をショートカットする”ためのものではなくなるんですね。
そしてその旅は終わらない。絶対に。

改めて『俺の人生はただ眠りたかったという意思のみで終わる』というタイトルの素晴らしさを噛み締めます。
開け放たれた窓の光が差し込む、無人のベッドを映して終わるラストページ。
そこにある空白と、歩き出した彼の背を、私はきっとこれからも、ずっと好きでい続けるのだと思います。