例えば、ドーナツ七個。
わたしはそれをほとんど無意識に飲み込んだ。
ドーナツは喉の奥を、シャボン玉のようにふんわりと落ちていった。
「最初は、トマトだったと思うわ。
ふと気が付くと、たまらなくトマトが食べたくなっていたの。
どうしてだか全然分からない。
身体中の細胞が、トマトトマトトマトって、つぶやいている感じだった。」
僕たちはお互いに、含まれあっているのです。
僕自身の意識さえ届かない奥深い魂の一点に、彼女の瞳が映っています。
ほとんどの人は、そういう感情を持てる相手と出会わないですむのだと思います。
自分の魂に映る誰かのことになど気付かなくても、ちゃんと人生をまっとうすることができるのでしょう。
でも、僕は彼女に出会ってしまった。対話療法はずっと続いてゆくのです。彼女と僕を癒やすために。
今一番欲しいのは、微笑みと満足に彩られた平和な食事なのだ。
わたしのなかで、食に関する本のバイブルを選べと言われたらこの本を選ぶ。
次点で吉田篤弘「つむじ風食堂の夜」を挙げるけど
でもきっと、小川洋子の「シュガータイム」がずっと一番だ。
元来のわたしは、少食で、固体を食べるよりも何かを飲むことのほうがずっと楽で好きだった。
それが生理前になると、いきなり、食べて食べて食べても足りなくなってしまう。
この食欲過剰は、いつまで続くんだろう。
私のなかの、寂しさが溶解するまで続くんだろうか。
対話療法は続いていくのだろうか、わたしと、わたしの寂しさを癒やすために。
だとしたら、その相手は、この小説しかいないのだ。……なんて思いながら、小川洋子の文章をなぞっている。
生理を迎えてしまえば、呆気なく消え去ってしまう過食衝動と寂しさに
対処するすべを、わたしはいまだ知らないままだ。
何も知らない、わたしは何も。