劇場版「若おかみは小学生!」観てきました。
引くほど泣いたんですけど、これは悲しみと尊敬の涙です。
これはハッピーな成長物語か?絶対にそうではないから泣けるんだよ。
彼女が赦さなければいけなかったものの大きさ、彼女が手放さなければいけなかったものの大きさ。
あまりにも早く大人にならざるをえなかった少女に一大人として出来ることは尊敬の眼差しを送ることだけでしょ。
以下ネタバレ。
両親の死というあまりにも大きく、そして絶対的な自立の条件に応える彼女の姿は、悲しいお利口さんにしか私には思えなかった。
終盤、自分の両親を間接的にとはいえ殺した家族をもてなすことを「私は若おかみだから」と肯定したあの強さが悲しい。
彼女は関織子ではなく、おっこになってしまった。ならざるを得なかった。
千は千尋に戻れたけども、おっこが関織子に戻る日はたぶんもうこなくて。
石垣りんの「公共」という詩に「職場と 家庭と どちらもが 与えることと 奪うことをする」っていうフレーズがあるけど、まさにそれだと思う。
花の湯旅館が関織子に与えたもの、奪ったもの。
それは誰しもが通過する大人になることへのステップで、運命はその対象者の年齢など考慮しないから、おっこはもう一人前の立派な大人だ。
でも、そんなに早く、大人になんかならなくていいんだよ、って思って私は泣いていた。
彼女の「置いてかないで、お父さん、お母さん。私を一人にしないで」と叫んだ弱さは、何処にも届かずに消えてしまった気がする。
誰が、これからの彼女のあの寂しさを受け止めてあげられるんだろう。
旅館を飛び出したおっこを抱きとめるのは、グローリー・水蓼ではなく、あの地で共に生活する誰かでなくてはいけなかったと思う。
おばあちゃんでも、エツ子さんでも、康さんでもいいから。
寂しさの発作をなだめてくれる誰かが、彼女のそばにいてあげてほしい。
両親が眠るベッドに潜るシーン、あれ思い出すだけで普通に泣けるよ。
当たり前の温もりを、どうか彼女に。
それはそうとして、
めっっっっちゃくちゃ主題歌よかったですね。
めっっっっちゃくちゃ主題歌よかったですね。
藤原さくら「また明日」
作詞:藤原さくら 作曲:藤原さくら 編曲:mabanua(SPEEDSTAR RECORDS)
「「また明日」って今日も言わせて 触れ合った手がまだ温かくて
「さよなら」を言うには さみしすぎるね 今は」
「知らないことはいくつもあるけど 泣き虫なあの日を追い越してくよ 君と」
「抱きしめてほしかっただけよ 背伸びしても子供のままなのに」
この主題歌が流れるエンドロール、涙腺が崩壊してやばかった。
何だかんだ言ったけど、また明日も「おはよう」を言う物語なんですね、「若おかみは小学生!」は。