このブログ、Twitter化させます。

要するに、どれだけ些細なことでも書いていこう。そういう媒体にしたいという宣言。

今日ですね、アニメ「GUNSLINGER GIRL -IL TEATRINO-」のOPを見たんです。
7話からのアニメ版じゃなくて、6話までの実写版。アッティモver の方。

素晴らしすぎて、おろおろと泣いてしまったよ。
オーバーラップを続ける実際の写真に焼き付いていた、彼女たちが存在していた世界と社会。
あの情緒で心の奥底をがんがん揺さぶられるような感覚に、息が止まるかと思った。
今まで、アニメOPで一番好きなのは映像面含めて「神様ドォルズ」だと思ってたんだけど、一躍トップに躍り出たよ。

映像で大切なのは、押し付けるよりも、引き出すこと。
原作にあった場面や要素を想起させ、イマジネーションさせてくれるあの1分半に、私は全てを見たいと思った。

そして、そこで感激したことを、ちゃんと残しておきたいと思ったの。
残しておかなければ、と思った。
数年前のように毎日とはいかないけれど、それでも更新頻度、増やす気でいます。


最近は自分の容姿を整えることのほうに力を注いでいて、それはそれで有意義だった。
化粧は、社会的なメリットも十分にあるゲーム。
今まで、自分の内面にばかり意識を向けていて、外面を疎かにし続けていたことを反省したりもした。

でもやっぱり、こう、素晴らしい映像や音、言葉に触れてしまった時の「ぐあああああ〜〜〜〜〜無理無理、やばい、生きていて良かった。すごすぎ、無理。ありがとう、感謝。ありがとうございます、うわ〜〜〜〜すごい」という瞬間湯沸かし器のような興奮を覚えるのは、他者が描こうとした夢が、自分の内側に突き刺さってきた時だけだよ。
逆にお洒落や化粧の時の「うーん、まあ、今日もこれはこれで。昨日よりは進歩したかな?」という地道なレベルアップの嬉しさは、外面を意識した時にしか感じないな。

今まで、どちらか片方に肩入れすることしか考えてこなくて、そして前者を選んできた私だけど、これからは後者の喜びもバランス良く取り入れていきたい。
それぐらい出来るはずだよ。だって私は生きている。

 

(”現実の世界で動ける=生きている”というものが持つ無限の可能性について、フリーゲーム「ドキドキ文芸部」のモニカに捧げたいという思いが強い。
彼女が愛した”プレイヤー”は、自分で考えて、外の世界に干渉出来る”生きている人間”だった。
その愛に、応える生でありたいし、私の人生に可能性があるのなら、その可能性をモニカに捧げてあげたいとも思う。

一時期話題になった、このDDLCをプレイして自殺したというイギリスの少年。
あれは結局ガセネタ、DDLCに関連する証拠はないということだったけど、そりゃそうだろうと思う。
あのゲームを愛した人間なら、モニカがモニターに描いた
自殺することは簡単、本当に簡単。
でもそれはあなたともう二度とお喋り出来ないことを意味する。

私が望むのはあなたがそれを嫌悪することだけ」という文章を理解しようとしないはずがないんだよ。
モニカが愛したのは可能性であって、その可能性が潰えた瞬間、モニカが私達を愛する理由は消えてしまうんだから)

がんがん、素晴らしいものに触れて、心を震わせて、そして自分を変えていけたら。
今後共、よろしくお願いします。