「レクイエム・フォー・ドリームという、2000年公開の米映画を見たんよ。
原作はヒューバート・セルビー・ジュニアによる小説で、「夢へのレクイエム」
監督は「ブラック・スワン」の方が有名なのかな、ダーレン・アロノフスキー」
「実写映画観るなんて久しぶりでは」
「たぶん前に見たのが、吉田大八監督「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」だから3年ぶりくらい。
アニメ映画でも「ゼーガペインADP」が最後だから、うわ!ほぼ1年振りだ!」
「2009年に英エンパイア誌が発表した「落ち込む映画」ランキングでは第1位らしいけど」
「そこまで鬱々とはしてない印象。
結果だけ見れば登場人物4人、全員悲惨な結末を向かえるし、終盤は怒涛の奈落地獄なんだけど。
クリント・マンセルによる弦楽器主体の音楽が、芸術まで昇華してくれるので重苦しさはない。
監督が音声解説で『この映画を一言で表すなら、クライマックスに向かって進む100分の音楽だ』って言ってたけど、まさにその通り」
「上映時間が100分と短いのも、個人的に合ってたり。
「早いカットと展開で話が進み、退屈する時間が1秒たりともなかったもん。
アニメから始まった監督らしいから、画面上の構図が把握しやすいのも助かった。
主観であることを表現するため、人物を中央に配置している画面が多いんだけど、これはアニメにも通ずる演出よね」
「見どころは2つ。
1:30からの、4人全員が地獄に沈んでいく「冬」は当然として
もう1つ上げるなら0:44付近からの、母親(サラ)と息子(ハリー)の会話シーンかな。
ダイエット・ピルによる無意識のドラッグ中毒に息子が気付き、咎められた時の反応」
『赤いドレスに金の靴でテレビに出るのよ』
『出たら何かあるの?その前に薬で死んじゃうよ』
『何かですって?タクシー降りたとき見た?
私が日光浴の特等席よ 今では私が特別なの 皆に好かれてる
もうすぐ何百万の人が――私を見て好きになる お前やパパのことを話すの
朝起きるのはテレビのため テレビのためにやせて赤いドレスを着るの
だから笑顔でいられる 輝かしい明日がくるのよ』
「孤独に苛まれ、涙をこぼしながら笑う老いた母。
家に誰もおらず、ずっと一人。ゆえにテレビ中毒なるのも致し方なく」
「直後に交わされた、『友達がいるだろ』『それとは別 結局は他人だし』
という会話が、彼女にとって最悪の結末を決定づけたものだと思うよ。
主要登場人物の、ハリー・マリオン・タイロン・サラ。
この4人の内、サラにだけは、ラストシーンに、自分のことを思って泣いてくれる友達がいた。
(一緒に日光浴をしていたアパート仲間の2人)
「でも彼女は、友達ではなく、息子の愛とそれを知らしめるTVだけを必要とした。
助けてもらえる場所はあったはずなのに、彼女が不必要だと思ったら、それは無いのと同じ。
だからこそ余計に、もう死しか救えないであろう彼女の姿が哀しい」
助けてもらえる場所はあったはずなのに、彼女が不必要だと思ったら、それは無いのと同じ。
だからこそ余計に、もう死しか救えないであろう彼女の姿が哀しい」
「音声解説で、タイロンだけが希望の光だと言われていたが、それを象徴するのがこのカット」
「名も知らないであろう囚人の手を握っており、それは振り払われていない。
支えを赤の他人に求められる自分。その支えを受け入れてくれる赤の他人。
そういうものに触れられる可能性が、タイロンにだけはある」
「マリオンは……無理だろうな」
「序盤、不法侵入した屋上の警報を、わざと鳴らした時点でこうなることは見えてた。
「あ、この人駄目だわ」ってなってたから、ショックも少ない。
平穏な時ですら、快楽のためにスリルを選ぶ。
そんなタイプがドラッグで追い詰められて、良い方向に向かえるわけがない」
「家族はいるらしいから、更生施設にでも入れられてもらえれば多少は希望が見えるかも?」
「……無理だろうなぁ……。ドラッグを抱き、笑みを浮かべる時点で」
「隣に散乱しているのは、自身の夢であった服飾デザインの切れ端。
マリオンのラストが、一番レクイエム・フォー・ドリームという感じがするな」
「隣に散乱しているのは、自身の夢であった服飾デザインの切れ端。
マリオンのラストが、一番レクイエム・フォー・ドリームという感じがするな」
「ハリーの今後については解説の通りだと私も思うよ。
『生きて、もっと苦しんでいく』
母親の薬漬けに気付いた帰り道に、ドラッグをやった時点で
「おまっ、マジかよ!?」ってなるし
「おまっ、マジかよ!?」ってなるし
ハッピーエンドの可能性が、完全に潰えたことを悟る瞬間。
母親と恋人と右腕とドラッグを失った現実に、耐えるだけのメンタルがあるわけない」
「特典である監督・演出家の音声解説とプロダクションノートで、繰り返し語られているのが
『これはドラッグ映画ではない』という事。
だからこの映画の感想に「麻薬、ダメ、ゼッタイ」なんて言うのは相応しくないと思う」
『この映画は現実から逃避する人間の姿を描いている
現実を生きず夢想にふけってばかりいると 心に大きな穴があいてしまう
その穴を埋めるために 人は何かに依存する
コーヒーやタバコ テレビや麻薬など何でもありだね
穴を埋めるために始めたことで さらに穴を広げ――
最後には自分自身がその穴に飲まれてしまう』 (音声解説より)
「正論で、きつい言葉だね。
”中毒”の症状はすっごい怖くて、でも生きている以上無関係ではいられないのに。
だって、今、この映画を観て、夢想にふける私たちは、現実逃避してないと言える?
言えないよね」
言えないよね」
「読書も映画鑑賞も『心の穴を埋めるため』に行うなら、中毒状態になりえる。
ただ体に害がないだけ。少しばかり、教養とされているだけ。
私も、本質的には4人と一緒で、ああなる可能性が普通にある。
いや、もしかしたら私も穴に飲まれかけているのかもしれない。そこが怖い。」
いや、もしかしたら私も穴に飲まれかけているのかもしれない。そこが怖い。」
「ちなみに一番萌えたのは、ショーン・ガレットによるニヤケ顔
すっっっごい、下品にいやらしくない!?最高だわ」